『根源的暴力』1960年生まれのアーティスト鴻池朋子さんが、東北地方を襲った地震と津波のあと、すべての手を止め里山に赴き、暫くぶりに開催した個展のタイトル。獣の皮を縫い合わせたとても大きな皮布をテントのように組み上げ、そこに描き出された原色のペインティング。我々はただただそれらを見上げることしかできず、言葉を奪われ、大きな衝撃を受けたことを8年くらい経った今も鮮烈に覚えている。
この世界を襲った何かを引き受けた『停止と空回り』の後に『変身』を遂げた彼女が生み出す作品たちはあまりにも強烈で、悲しみ、畏れ、怒りが凝縮した、まさに暴力とでもいうような力が詰まっていた。我々がなんの悪気もないままに、ただ生きること自体が他者に及ぼす力。それは自分と触れ合うすべての存在に対する、まるで暴力のようなもの。生きていくことと暴力の不可分性。切ないほどの無力さ。うらはら。
THE YELLOW MONKEYの歌に『この世界 ときには素敵さ(たまにはね)』とある通り、たまに世界は美しい。そして『散らない花はないけれど、花は咲き続けるだろう』と続く。自分というものを絶対的な起点に世界を眺めるのではなく、自分は世界の一部であると捉える相対的な目線。たとえ自分という存在が死によって消えてしまうように見えても、自分という存在の孕む暴力的なまでの’在’は、確実に他者に宿り、この世界は存在し続ける。命は咲き続ける。
自らの存在が担う暴力性に常に意識的でありながら、この世界の構成要素のひとつである自分と、この世界がたまには美しいのだという事実に、時々足を止めふと目をやることの大切さ。
そう。時々、忘れそうになってしまうのだけれど、
世界はたまに美しい。
その美しさに目を配り、そのあたたかさを肌で感じながら生きていきたい。
珠洲には、それを受け止める度量があり、この世界を感じ生きていくのにとてもよい風土を感じます。
和佐野有紀
アートコミュニケーター / 医師