10/4アズーサ→ビクタービル120km
山岳地帯を走りました。谷から吹き付ける猛烈な向かい風と永遠に続く登坂で体力の限界そのものでした。またいつもの倍のどが渇くことに気づきました。あまりのきつさで立ち寄ったマクドナルドで少しだけ体が回復しま。山を越えたら、砂漠の中を走りました。距離の割に疲労感が著しくて、今後の旅が不安になりました。ビクタービルのモーテルで寝ました。
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10/5ビクタービル→バーストー65㎞
バーストー以降は無補給地帯となるのでこの日は少し短め。砂漠を3時間ほど走りバーストーに着きました。横を巨大な貨物列車が次々と走る去る姿は圧巻でした。この日もマクドナルドに寄り、昼飯を食べました。道中ずっと鼻血が絶えず出ており、きっと極度に乾燥した空気が原因だと思います。口や鼻を覆えるように、売店でバンダナを購入しました。これで良くなることを願うばかりです。この日もモーテルで寝ました。
https://youtu.be/DQSeIIBtJac?si=uIbi-Rm8MhVzgscL
↑ここまでの動画↑
10/67バーストー→アンボーイ145㎞
無補給地帯を走りました。地平線の先まで続くルート66をまっすぐ走り続けるだけです。一ヵ所だけガソリンスタンド(コンビニ)があるので、10/7分の水や食料も購入するととんでもない重さの自転車となりました。当初アンボーイクレーター(火山)を目的地にしていましたが、まだ走れる時間と体力があったので先に進むことにしました。夕暮れ時に花崗岩の山の麓でテントを張り、飯を食べると一瞬で外は暗くなりました。テントの中で早く寝ようとしましが、息が苦しくてテントの外に顔を出すと、眩い銀河が空一面に横たわっていました。今まで見たどの星空よりも綺麗で、少しの間見とれていました。この日の過酷な道のりを思い出すと少しだけ泣きそうになりました。本当は明日の分として4L予備としておいたのですが、あまりにものどが渇いて朝には残り3Lになっていました。10/7は完全無補給地帯なはずなので、じわじわと怖くなりました。
10/7アンボーイ→サーチライト155㎞
朝から脱水状態の山越えで死にそうでした。山を越えるために2L飲んでしまい予備のペットボトルは1L。確実に砂漠の真ん中での垂れ時ぬ未来が見えたので、スケッチブックに「WATER PLEASE 」 と書いてリュックに張り付けたが効果はありませんでした。(※それと何処か落とした)。もう誰かの車に乗せてもらうしか生きる方法がないと思い、砂漠の真ん中のトイレ前で途方に暮れていたら、サンドラさんやベンスさんが話しかけて助けてくれました。
サンドラ「サーチライトは交差点で左!頑張って」
ベンス「いいから座ってろ。水がいるか?俺の水をあげる。今は休んでいた方が良い。」と水や自転車用ボトル、補給食も頂きました。
他にもコーラやリンゴ、水や食料をくれたおばさんたちに感謝の気持ちで一杯です。それと実はトイレの壁に飲料水の蛇口があって2Lほど飲みました。
最初は手足がしびれ、意識が朦朧としていたのに、水や食料をたくさんとると、動けるようになっていることがわかり、人間の体に水がどれほど大切なことか実感しました。助けてくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。まさに命の恩人です。
それから100㎞は黙々と走りました。午前中は今にも干からびそうだったのに、午後からは水が飲めるというだけでこんなにも走りやすさが違うのかと驚きました。夕方の山越えはあり得ないくらいきつかったけど、足を止めずに乗り越えられました。
諦めかけていたアメリカ横断完全走破もまだ希望が繋がりました。人の優しさに触れ感謝します。7時半にサーチライトのモーテルに着き寝ました。
※ネバダ州に入りました。
10/8サーチライト→ラスベガス100㎞
前半の砂漠はほとんど下り坂でとても楽でした。ヘンダーソンの山越えとラスベガスの町中のStop&Goは少し疲れました(10/7よりははるかにまし)。今まで無人の砂漠地帯だったのに急に観光客で溢れる巨大ビル群になったので圧倒されました。有名なベラージオの噴水が見られて良かったです。夜はメキシコ料理店に行きました。何を頼んだのか全然わかりませんでしたが、トルティーヤの何かを山ほど頂きました。美味しかったですが、腹が破裂寸前です。夜もラスベガスの町はギラギラしていますが、明日も走らなければいけないので、格安のホステルで寝ます。
とりあえず1週間走り約700㎞到達です。今後も同じペースで走るとなるとどれほど過酷な旅が待っているのかと、思いやられますが、気持ちを強く、そして水や補給を大切にして、2週目も走り続けます。10/8