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20歳、大学生。いじめられっ子だった僕が、キリマンジャロへ挑戦する話。

自分の人生は自分で決めたい!中学受験をした理由は、いじめっ子と同じ中学に行きたくなかったから。大学受験も自分の意思でしたわけではなかった。僕はもう自分の人生の方向性を、他人に委ねたくない!そう決意し、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ一人で挑戦します!この挑戦にぜひ手を貸していただけませんか?

現在の支援総額

650,546

130%

目標金額は500,000円

支援者数

49

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/11/14に募集を開始し、 49人の支援により 650,546円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

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20歳、大学生。いじめられっ子だった僕が、キリマンジャロへ挑戦する話。

現在の支援総額

650,546

130%達成

終了

目標金額500,000

支援者数49

このプロジェクトは、2023/11/14に募集を開始し、 49人の支援により 650,546円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

自分の人生は自分で決めたい!中学受験をした理由は、いじめっ子と同じ中学に行きたくなかったから。大学受験も自分の意思でしたわけではなかった。僕はもう自分の人生の方向性を、他人に委ねたくない!そう決意し、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ一人で挑戦します!この挑戦にぜひ手を貸していただけませんか?

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初めまして!山内悠平と申します!
数あるプロジェクトの中から見つけていただき、ありがとうございます!
いじめられっ子だった私が、七代大陸最高峰へ!
地球上にある7つの最高到達点、その一角!
アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに挑戦します!

どうか20歳の私の挑戦に力を貸してください!

山内 悠平(やまうち ゆうへい) 2002年、千葉県流山市生まれ。現在20歳。東京都在住。
早稲田大学教育学部理学科生物学専修3年生。早稲田大学の岳文会(がくぶんかい)への入会を機に登山を始める。
2022年10月〜2023年10月の一年間、岳文会の64期 幹事長(代表)を務め、100名規模での北アルプス1週間縦走へ挑戦。幹事長を引退し、アフリカ最高峰、キリマンジャロへ挑戦する。

私がこのプロジェクトを始めた背景を下記で詳しく説明したいと思います。読んでいただけたら嬉しいです。

いじめに遭った小学生時代

私は小学校5年に上がるタイミングで、福岡から東京へ引っ越してきました。
そして引っ越してきた学校で小学校6年生までの2年間、いじめを受けました。小学校6年生の1年間は精神が病み、不登校だったので直接的にいじめを受けていたのは実質1年間ですね。いじめの内容はありきたりなものでした。みんなで仲間外れにしたり、みんなで無視したり、トイレに閉じ込めたり、ホースで水をかけられたり、首を絞められたり、殴られたり、女子の前で裸にされたり、などなど。担任の先生は見て見ぬふりでした。
新任の若い女性の先生だったので、仕方がないのかもしれませんね笑 
学校に言っても対応してくれず、結果的に教育委員会が介入し、学校側も対応してくれるようになりました。
1年間といえど、当時11歳の私にとって1年間のいじめの期間は、永遠に感じるほど長く、苦しい期間であり、人生に絶望するには十分でした。
外出することを嫌い、話すことを嫌い、人を嫌い、自分を嫌い、人生に絶望し、何度も死のうと思いました。このいじめがトラウマとなり、他人の目を気にし、何をするにしても自分を殺し、他人に合わせる。四六時中、他人から嫌われないように行動することばかり考えていました。



中学受験をしたのはいじめっ子と同じ中学へ行きたくなかったから。大学受験をしたのも、先生や親から否定されたくないが故に、勉強をしていたからでした。中学受験も大学受験も自分の意思でした訳ではありませんでした。嫌な現実から逃げるためにしたことでした。いじめの影響で他人ともろくにコミュニケーションを取ろうとせず、顔に仮面を被り、他人の目を気にする人生。大学も受かったはいいですが、なんの目標もありませんでした。今までの自分はなんだったのだろう、と心にぽっかり穴が空いたようなやりきれない虚しさがありました。


登山との出会い

早稲田へ入学したものの、何一つやりたいことも、目標もありませんでした。受験した動機が不純だったので当たり前ですね笑
せっかく早稲田に入学したし、何かサークルでも入るか、と思い入ったのが早稲田大学公認の山岳サークル 岳文会(がくぶんかい)でした。

登山なんて全くやったことはありませんでしたが、仲間と苦楽を共にする経験、山の非現実的な景色、登頂した時の達成感、気がつくと登山にどっぷりハマってしまいました。山を登っていると、なんて自分はちっぽけなんだと実感させられました。私の悩んでいたことなんてこの雄大な自然に比べたらなんて些細なものなんだろう、と。

そして2022年10月に岳文会の64期幹事長に就任しました。幹事長生活は大変でしたが、私の人生で最も楽しい時間でした。人生で初めて、100%自分の意思で本気で取り組んだことでした。私は今まで努力とは苦しいものだと思っていました。中学受験も大学受験も、嫌な現実から逃れるためにした努力でした。ですがこの幹事長生活を本気で取り組んだ経験は、確かにとても大変でしたが、何より楽しかったのです。自分の頑張りでたくさんのサークル員が笑顔になって、登山を通して大学生活の思い出ができて、初めて頑張ることが楽しいと感じることができました。初めて他人の目が気にならなくなりました。初めて自分のやりたいことを見つけられました。自分の顔に被っていた仮面が崩れ落ちたかのような感覚。この時、本当に自分を取り戻せた気がしました。

岳文会 ロゴ (岳文会ステッカーも同様のデザイン)

2023年 早稲田大学 岳文会 夏合宿 上高地にて(私:中央、岳文会旗の後)

自分の人生は自分で決める!今度こそ自分の意思で挑戦したい!

私は登山に出会って、本当の自分を取り戻すことができました。
いじめられて人生に絶望していたあの頃の自分に言ってあげたい。
君の人生は君が思っているよりずっと幸福に満ちている、と。


やっと取り戻せた本当の自分。中学受験も大学受験も私の意思によるものではなかった。今度は私の意思で、堂々と、自分の人生の方向を決めたい。

挑戦するなら、自分が本気でやってきて、初めて何かに本気で取り組むことが、楽しいと気づかせてくれた登山で。

そう思い、海外の山、セブンサミッツへ挑戦することを決意しました。

また、今回のこの挑戦は私一人で行います登山サークルの友人や先輩を誘えば一緒に登ってくれる人も見つかるでしょうし、複数で行ったほうが気が楽です。海外経験がない私にとって、アフリカの未開の地へ行くのはとても不安です。怖いです。正直、友人を誘って行きたいです。

しかし、それでは私にとって本当の意味での挑戦になるのでしょうか。仮に友人や先輩と行って、他人に頼り、自分自身で選択をしなければ、今までの僕の人生と変わりません。それでは意味がないです。

不確定で未知なことに1人で挑むからこそ、本当の意味での挑戦であり、自分で選択するからこそ意味があるのだと考えました。

登山×コーヒー

キリマンジャロといえばコーヒーですよね!
現在ではタンザニア(一部地域を除く)で生産されたアラビカ種のコーヒー豆を総称してキリマンジャロコーヒーと定義していますが、元々はモシからキレマ村の山麓で栽培されていた豆だけをキリマンジャロコーヒーと呼んでいました。

そして何を隠そう、モシこそがキリマンジャロ登山の起点になる街なのです!

私は現在、スターバックスのパートナーとして働いております。スターバックスでは9/8-9/10と毎月20を「Ethically Connecting Day」とし、コーヒーを楽しみながら、コーヒーに関わるたくさんの人々に想いをつなぐ日としています。私自身、この日はお客様にコーヒーの生産地の情報や、コーヒーの特徴などの発信をより意識して行っています。しかし、知識として理解はしていてもなかなか想像がつきません。コーヒー豆はコーヒーチェリーから取れる木の実から作られるんだよと言ってもコーヒーチェリーを実際に見たことはありません。

今回、せっかくキリマンジャロのモシに行くのですから、自分の目でコーヒー農園を見たいと思っています。そして見て感じたことを活動報告として、スターバックスのバリスタの観点から、ご支援して下さった皆様に共有したいです。

エベレストコース以上の方には、リターンとして現地で購入したキリマンジャロコーヒーをお送り致します。同時になぜそのコーヒーを選んだのか、理由も含めてお送りしたいと思っています。
キリマンジャロコーヒーは上質で強い酸味としっかりとしたコクと雑味のない後味、そして柑橘類や花のようなフルーティーで存在感のある甘酸っぱい香りがあるコーヒーです。現地で購入したキリマンジャロコーヒーをぜひ楽しんでいただきたいです!


2030年には消滅する!? アフリカ大陸最後の氷河 

赤道直下の国、タンザニア。そんな極暑の地にも氷河があります。それはキリマンジャロ山頂に位置するレブマ氷河、アロー氷河、バランコ氷河。そんな氷河が気候変動の影響で、2030年には消滅すると言われています。

キリマンジャロは四季を感じられる山です。山は100mにつき0.6℃気温が低下します。キリマンジャロの標高は5895mですので約35℃もの寒暖差が地上と頂上であります。登り始めには夏を、そして標高が高くなるにつれ、春、秋、冬、そして頂上では氷点下を下回ります。

氷河がなくなる前に、この目で氷河を見ておきたいです!

1993年 山頂の氷河

2000年 山頂の氷河


クラウドファンディングの良さはなんと言っても、ご支援していただいた皆様に、プロジェクトの行く末をお見せできることだと思っています。

20歳、元いじめられっ子がアフリカ最高峰のキリマンジャロの山頂、ウフルピークへ登頂する様子を、まるで自分が登っているかのようなワクワクとともに楽しんでいただき、そしてご支援していただいた皆様と感動を分かち合いたいと思っております。そしてこのプロジェクトが、今後誰かの目に入り、誰かを勇気付けられたらいいなと考えております。

私の挑戦する姿が、誰かを勇気づけたり、誰かの挑戦するきっかけになったり、クラウドファンディングを通して、伝播していく。それってとても素敵なことだと思いませんか?

これらはクラウドファンディングでしかできないことです。私の挑戦を共に見届けていただけたら嬉しいです。

世界の山々になぞらえ(火星の山もありますが笑)、7つのコースを用意いたしました。よろしくお願いします。

リターン詳細

●お礼のメール
感謝の気持ちをメールにて送信いたします。

●お礼のお手紙
感謝の気持ちを手紙にてお送りいたします。

●キリマンジャロで撮影した最高の○○枚
この挑戦で撮影した写真のデータをお送りいたします。
提供方法:メールにて送信

●岳文会ステッカー
私が幹事長を務めた、早稲田大学岳文会のステッカーを1枚お送りいたします。
ステッカーデザイン

●旗に名前記入
この挑戦には日本の国旗を持っていき、そこにご支援していただきました皆様のお名前を書き、頂上にて撮影いたします。その写真データをお送りいたします。
掲載方法:ご支援者様のお名前、企業名を文字で記載します。

●タンザニア土産(カンガ・コーヒー豆)
・コーヒー豆:現地にてキリマンジャロコーヒー100gを購入し、購入の背景とともにお送りいたします。
・カンガ:現地にて民族衣装のカンガを1枚購入し、お送りいたします。

●現地での写真・動画集
現地で撮影した、写真、動画の全てのデータをメールにて、お送りいたします。
内容:この挑戦の動画、写真
提供方法:メールにて送信

●感謝の動画
感謝の動画を撮影し、お送りいたします。
内容:旅を終えた感想と、ご支援への感謝。
収録時間:5分ほど
提供方法:メールにて送信


2024年

1下旬 クラウドファンディング終了
2月 プロジェクト実行
3月  リターン発送


本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

・航空券(ドーハ乗り継ぎ、カタール航空) $1000
・ツアー料金 $1385
・タンザニアビザ $50
・航空券に付帯する諸税(燃油サーチャージ&空港税) $200
・リターン費用 $200
・海外旅行保険料

 総額 $2835(約43万円)

これにCAMPFIRE 手数料を含め50万円とさせていただきました。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
私のチャレンジに共感していただける方は、是非応援よろしくお願いします!
皆様の応援と協力に心から感謝いたします!

山内悠平

<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

最新の活動報告

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  • 2024年 5月15日発売の岳人6月号に掲載されました!!歴史ある山岳雑誌である岳人に私の言葉が載るなんて、光栄の至りです。。。岳人編集部 様 校正等していただきありがとうございます。 もっと見る

  • 皆様、ご無沙汰しております。山内悠平です。今回は次のチャレンジが決まりましたので、そのご連絡です。アフリカ大陸最高峰キリマンジャロの次は、西ヨーロッパ最高峰モンブラン、ヨーロッパ大陸最高峰エルブルスに挑戦いたします。今回は株式会社モンベル 様 にスポンサーになっていただき、装備等の提供をしていただく運びとなりました。しかし、最高峰2座への挑戦である点、ヨーロッパである点、また安全面を十分に確保するとなると、どうしても多くの資金が必要になってきてしまうのが現実です。恐縮ではありますが、今回もクラウドファンディングにて資金を集めております。今回のモンブラン&エルブルス遠征は、前回のキリマンジャロよりリターン品、ページ内容等さらに磨きをかけております。もしまた私に共感してくださり、リターン品等に魅力を感じてくださいましたら、応援お願いいたします。今回はクラウドファンディングのサイトが異なるため、詳しくはこちらをご覧ください。山内悠平 もっと見る

  • 最終章 自由の頂この日はバラフキャンプ(4673m)から山頂のウフルピーク(5895m)を目指す。バラフキャンプからステラポイント(5756m)までの1083mはほぼ急登であり、ステラポイントから山頂のウフルピークまでの最後約100mは氷河の上を2kmほど歩き、徐々に標高をあげる。服装は、顔にバラクラバ、ニット帽。上にレイン、ダウンなど5枚。下はレイン、スパッツなど4枚。登山用靴下を2重に着ていた。前日の23時に起床。ヘッドライトの明かりを頼りに頂上を目指す。他にも登山隊が約15部隊ほどおり、各々がゆっくりと、隊列を組み山頂を目指していた。富士山の山頂アッタックの時のように、暗闇の中、他の登山部隊のヘッドライトの光が、キリマンジャロの頂へ向けて、一直線に伸びているのが見えた。僕の部隊は、自分とガイドのジャコブ、コックのバラカの3人パーティーであり、恐らく頂上を目指す部隊の中で一番少数であった。空には雲ひとつなく、満点の星空が広がっていた。地上にはキリマンジャロの麓の町であるモシの街明かりが、無数に絶え間なく輝いていて、まるで星空のようだった。上も下も星空の様な、星空に挟まれたような、幻想的な光景がそこにはあった。この光景は山脈に属さない"独立峰"としては、世界最高峰であるキリマンジャロでしか見れないものなのだろう、そう思った。出発して早々、そんな幻想的な景色とは裏腹に、風速20m/sもの風が僕に現実を見せつけてくる。体が寄れるほどの強風。気温は既に氷点下を下回っており、即座に手の感覚を奪っていった。ガイドのジャコブはとてもペースが早かった。今までの私の様子を見て、早いペースでも問題ないと判断したのだろう。実際に私は、出るのが当たり前とされていた高山病の症状が一切でず、睡眠時間、食事等もしっかり確保できており、ジャコブのペースにも問題なくついていけた。歩いていくうちに、先行していた他の登山部隊をどんどん追い抜かす。標高5500mの地点では、10部隊ほどを抜かし、この日の登山部隊の中で、最も先頭を歩いていた。出発の時には、自らが進む方向には必ず他の登山者のヘッドライトの明かりがあった。しかし、今私の目の前に広がっているのは、ただの暗闇であった。この時初めて、自分が他の登山者のヘッドライトの明かりを見ることで、安心感を享受していたことに気づいた。強風が不安を駆り立て、気温が心を冷ましていく。そして、標高5600mを超えた地点から、飲み水が凍り始めた。高山病薬であるダイアモックスは利尿作用があり、体内の水分を循環させてくれる。それ故に、普段以上に水分補給が重要であった。飲み水が完全に氷ってしまったら、登山の続行は不可能である。完全に氷ってしまう前に登頂する必要があった。次第に焦りでペースが早くなる。しかし酸素濃度は地上の約半分であり、少し登るだけで息が上がる。幸い高山病の症状は出ていないが、疲労は徐々に溜まっていった。何とか4:30頃に標高5756mのステラポイントへ到着。この時はまだ体力的にも精神的にもまだまだ余裕があり、わりと簡単だな、なんて思っていた。そしてステラポイントから頂上のウフルピークまで氷河の上を歩き始めた。氷河の上を歩くのは思っているよりも歩きづらく、また遮蔽物が全くないため、風速20m/sの強風がもろに直撃した。また気温は約-10℃を記録していた。足の感覚が無いことに気づいたのは、歩き始めて200mほど進んだ時だった。寒さで足の感覚が無くなる経験は恐らく人生で初めてであり、凍傷の可能性が頭をよぎった。凍傷に関する知識がほとんど無かったため、どの段階からが危険なのかなど判断が出来ず、不安が増す。また同時に飲み水が凍ってしまい、飲めなくなってしまった。この時、僕の精神状態はかなり不安定になっていた。このまま進んで大丈夫なんだろうか。不安と恐怖が自分の中で膨らんでいくのがわかった。そんな時、後ろから見覚えのある人影が姿を現した。昨日バランコウォールの上で話した、中国人のライアンとローラであった。以前から彼らの登山のペースは早いと思っていたため、彼らも他の登山者を追い抜いてきたのだろう。ライアンは余裕そうな表情をしており、ローラの表情からは少し疲労感が読み取れた。ここにきて見覚えのある人に会え、強張った表情が解けていくのがわかった。私よりも小柄なローラが、懸命に歩いている姿を見て、私も頑張ろうと思えた。共に山頂へ辿り着こうと、互いを鼓舞した。2kmの道のりが永遠に感じられるほど長く、苦しかった。頂上のウフルピークが見えた時、安堵と達成感で泣きそうになった。2024年 2月8日 5時32分 登頂。まだ日が昇っておらず周囲は真っ暗だった。写真を撮って、足早に帰路に着いた。丁度ウフルピークとステラポイントの中間地点まで下山した時、朝日が昇り始めた。それと同時に強風が止んだ。周囲は静まり返り、僕の前に今まで姿を表さなかった、キリマンジャロの全貌が明らかになる。その圧倒的なスケールと美しさに息を呑んだ。あまりの非日常さに、初めは映像を見ている気がした。しかし、風が頬を掠め、肌で気温を感じ、吐く息は白く、呼吸をすると鼻腔が冷えた。それら全てが目の前に広がっている光景が現実であることを示していた。あとがき最後まで読んでくださり、ありがとうございます。"ウフル"とはスワヒリ語で"自由"という意味。最終章のタイトルである「自由の頂」というのは、キリマンジャロ山頂のウフルピークのことを示しています。このキリマンジャロ登山は、私にとって大きな成功体験になったと同時に、次への可能性を広げてくれました。今後も大学の長期休みを利用して、海外の山へ挑戦していくつもりです。直近では2024年夏に、西ヨーロッパ最高峰のモンブラン(4805m)、ヨーロッパ大陸最高峰のエルブルース(5642m)へ、年末に南米最高峰のアコンカグア(6960m)へ挑戦する予定で、既に動き出しております。皆様の応援があったからこそ、今私はこの登山という分野に、自らの可能性を見出せています。これは誰もが経験できることではない、とても贅沢なことだと思います。改めて、今回のクラウドファンディングでの応援、ありがとうございました。 もっと見る

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