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20歳、大学生。いじめられっ子だった僕が、キリマンジャロへ挑戦する話。

自分の人生は自分で決めたい!中学受験をした理由は、いじめっ子と同じ中学に行きたくなかったから。大学受験も自分の意思でしたわけではなかった。僕はもう自分の人生の方向性を、他人に委ねたくない!そう決意し、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ一人で挑戦します!この挑戦にぜひ手を貸していただけませんか?

現在の支援総額

650,546

130%

目標金額は500,000円

支援者数

49

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/11/14に募集を開始し、 49人の支援により 650,546円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

20歳、大学生。いじめられっ子だった僕が、キリマンジャロへ挑戦する話。

現在の支援総額

650,546

130%達成

終了

目標金額500,000

支援者数49

このプロジェクトは、2023/11/14に募集を開始し、 49人の支援により 650,546円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

自分の人生は自分で決めたい!中学受験をした理由は、いじめっ子と同じ中学に行きたくなかったから。大学受験も自分の意思でしたわけではなかった。僕はもう自分の人生の方向性を、他人に委ねたくない!そう決意し、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ一人で挑戦します!この挑戦にぜひ手を貸していただけませんか?

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2024年 5月15日発売の岳人6月号に掲載されました!!歴史ある山岳雑誌である岳人に私の言葉が載るなんて、光栄の至りです。。。岳人編集部 様 校正等していただきありがとうございます。


皆様、ご無沙汰しております。山内悠平です。今回は次のチャレンジが決まりましたので、そのご連絡です。アフリカ大陸最高峰キリマンジャロの次は、西ヨーロッパ最高峰モンブラン、ヨーロッパ大陸最高峰エルブルスに挑戦いたします。今回は株式会社モンベル 様 にスポンサーになっていただき、装備等の提供をしていただく運びとなりました。しかし、最高峰2座への挑戦である点、ヨーロッパである点、また安全面を十分に確保するとなると、どうしても多くの資金が必要になってきてしまうのが現実です。恐縮ではありますが、今回もクラウドファンディングにて資金を集めております。今回のモンブラン&エルブルス遠征は、前回のキリマンジャロよりリターン品、ページ内容等さらに磨きをかけております。もしまた私に共感してくださり、リターン品等に魅力を感じてくださいましたら、応援お願いいたします。今回はクラウドファンディングのサイトが異なるため、詳しくはこちらをご覧ください。山内悠平


最終章 自由の頂この日はバラフキャンプ(4673m)から山頂のウフルピーク(5895m)を目指す。バラフキャンプからステラポイント(5756m)までの1083mはほぼ急登であり、ステラポイントから山頂のウフルピークまでの最後約100mは氷河の上を2kmほど歩き、徐々に標高をあげる。服装は、顔にバラクラバ、ニット帽。上にレイン、ダウンなど5枚。下はレイン、スパッツなど4枚。登山用靴下を2重に着ていた。前日の23時に起床。ヘッドライトの明かりを頼りに頂上を目指す。他にも登山隊が約15部隊ほどおり、各々がゆっくりと、隊列を組み山頂を目指していた。富士山の山頂アッタックの時のように、暗闇の中、他の登山部隊のヘッドライトの光が、キリマンジャロの頂へ向けて、一直線に伸びているのが見えた。僕の部隊は、自分とガイドのジャコブ、コックのバラカの3人パーティーであり、恐らく頂上を目指す部隊の中で一番少数であった。空には雲ひとつなく、満点の星空が広がっていた。地上にはキリマンジャロの麓の町であるモシの街明かりが、無数に絶え間なく輝いていて、まるで星空のようだった。上も下も星空の様な、星空に挟まれたような、幻想的な光景がそこにはあった。この光景は山脈に属さない"独立峰"としては、世界最高峰であるキリマンジャロでしか見れないものなのだろう、そう思った。出発して早々、そんな幻想的な景色とは裏腹に、風速20m/sもの風が僕に現実を見せつけてくる。体が寄れるほどの強風。気温は既に氷点下を下回っており、即座に手の感覚を奪っていった。ガイドのジャコブはとてもペースが早かった。今までの私の様子を見て、早いペースでも問題ないと判断したのだろう。実際に私は、出るのが当たり前とされていた高山病の症状が一切でず、睡眠時間、食事等もしっかり確保できており、ジャコブのペースにも問題なくついていけた。歩いていくうちに、先行していた他の登山部隊をどんどん追い抜かす。標高5500mの地点では、10部隊ほどを抜かし、この日の登山部隊の中で、最も先頭を歩いていた。出発の時には、自らが進む方向には必ず他の登山者のヘッドライトの明かりがあった。しかし、今私の目の前に広がっているのは、ただの暗闇であった。この時初めて、自分が他の登山者のヘッドライトの明かりを見ることで、安心感を享受していたことに気づいた。強風が不安を駆り立て、気温が心を冷ましていく。そして、標高5600mを超えた地点から、飲み水が凍り始めた。高山病薬であるダイアモックスは利尿作用があり、体内の水分を循環させてくれる。それ故に、普段以上に水分補給が重要であった。飲み水が完全に氷ってしまったら、登山の続行は不可能である。完全に氷ってしまう前に登頂する必要があった。次第に焦りでペースが早くなる。しかし酸素濃度は地上の約半分であり、少し登るだけで息が上がる。幸い高山病の症状は出ていないが、疲労は徐々に溜まっていった。何とか4:30頃に標高5756mのステラポイントへ到着。この時はまだ体力的にも精神的にもまだまだ余裕があり、わりと簡単だな、なんて思っていた。そしてステラポイントから頂上のウフルピークまで氷河の上を歩き始めた。氷河の上を歩くのは思っているよりも歩きづらく、また遮蔽物が全くないため、風速20m/sの強風がもろに直撃した。また気温は約-10℃を記録していた。足の感覚が無いことに気づいたのは、歩き始めて200mほど進んだ時だった。寒さで足の感覚が無くなる経験は恐らく人生で初めてであり、凍傷の可能性が頭をよぎった。凍傷に関する知識がほとんど無かったため、どの段階からが危険なのかなど判断が出来ず、不安が増す。また同時に飲み水が凍ってしまい、飲めなくなってしまった。この時、僕の精神状態はかなり不安定になっていた。このまま進んで大丈夫なんだろうか。不安と恐怖が自分の中で膨らんでいくのがわかった。そんな時、後ろから見覚えのある人影が姿を現した。昨日バランコウォールの上で話した、中国人のライアンとローラであった。以前から彼らの登山のペースは早いと思っていたため、彼らも他の登山者を追い抜いてきたのだろう。ライアンは余裕そうな表情をしており、ローラの表情からは少し疲労感が読み取れた。ここにきて見覚えのある人に会え、強張った表情が解けていくのがわかった。私よりも小柄なローラが、懸命に歩いている姿を見て、私も頑張ろうと思えた。共に山頂へ辿り着こうと、互いを鼓舞した。2kmの道のりが永遠に感じられるほど長く、苦しかった。頂上のウフルピークが見えた時、安堵と達成感で泣きそうになった。2024年 2月8日 5時32分 登頂。まだ日が昇っておらず周囲は真っ暗だった。写真を撮って、足早に帰路に着いた。丁度ウフルピークとステラポイントの中間地点まで下山した時、朝日が昇り始めた。それと同時に強風が止んだ。周囲は静まり返り、僕の前に今まで姿を表さなかった、キリマンジャロの全貌が明らかになる。その圧倒的なスケールと美しさに息を呑んだ。あまりの非日常さに、初めは映像を見ている気がした。しかし、風が頬を掠め、肌で気温を感じ、吐く息は白く、呼吸をすると鼻腔が冷えた。それら全てが目の前に広がっている光景が現実であることを示していた。あとがき最後まで読んでくださり、ありがとうございます。"ウフル"とはスワヒリ語で"自由"という意味。最終章のタイトルである「自由の頂」というのは、キリマンジャロ山頂のウフルピークのことを示しています。このキリマンジャロ登山は、私にとって大きな成功体験になったと同時に、次への可能性を広げてくれました。今後も大学の長期休みを利用して、海外の山へ挑戦していくつもりです。直近では2024年夏に、西ヨーロッパ最高峰のモンブラン(4805m)、ヨーロッパ大陸最高峰のエルブルース(5642m)へ、年末に南米最高峰のアコンカグア(6960m)へ挑戦する予定で、既に動き出しております。皆様の応援があったからこそ、今私はこの登山という分野に、自らの可能性を見出せています。これは誰もが経験できることではない、とても贅沢なことだと思います。改めて、今回のクラウドファンディングでの応援、ありがとうございました。


第十三章 人間万事塞翁が馬この日はバランコキャンプ(3900m)から、最後のキャンプ地であるバラフキャンプ(4700m)を目指す。従来のマチャメルートでは、この間にあるカランガキャンプ(4000m)で宿泊するはずであったが、前日にガイドのジャコブから、1日行程を短くしないか、と提案があった。事前のキリマンジャロ登山の下調べで、この提案をされることはある程度予想していた。彼らが提案しなかったら、私の方から提案するつもりであった。彼曰く、今後、良い天気が続くかわからないから、今のうちに登ったほうが良い、とのことだった。彼らにとっても早く下山すれば、早く家族と会え、次の登山ツアーに行くことができる。登山シーズンは稼ぎどきであるはずなので、できるだけ多くのツアーに同行した方が、稼げる。また、私自身、この時点で高山病の症状は一切出ておらず、体力的にも全く問題なかった。この提案はwin-winなわけだ。だが彼らの方から提案してきてくれたのは、私としても好都合であった。というのも、私はこの登山が終わったら、彼らの会社が主催するサファリツアーにも参加する予定であった。せっかくアフリカに来たのだ。本物のワイルドライフは見ておきたかった。1日早く下山するということは、サファリまで1日暇ができるということだ。彼らの方から提案してきてくれたおかげで、行程を早める分、同額でサファリを1日伸ばしてくれないか、と交渉することができた。2日間のサファリが同額で3日間に延びた。ラッキー。後日談であるが、このサファリのホテルが最悪であった。エアコンもシャワーもなく、虫が入り放題の部屋。この交渉をしたせいで、このホテルに2泊もする羽目になった。こんなことなら、交渉せずに、良いホテルの部屋で、ビールを飲みながら登山中でたまっていたアニメを消化していたかった。人生における幸不幸は予想できない。第十四章 ライアンとローラ7時にバランコキャンプを出発すると、すぐ目の前にこの日の難所であるバランコウォールが聳え立っていた。バランコウォールは300mほどにもなる急登である。遠目にバランコウォールを登る登山者たちの列が見えた。これは日本で言うと、槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳山頂までの光景に似ていた。トレッキングポールをしまい、作業用手袋をつけ、登り始める。現地のポーターたちは頭に20kgの荷物を乗せ、この急登を登っていた。彼らの体感とバランス力には本当に驚かされる。槍ヶ岳のような急登を覚悟して登り始めたが、見掛け倒しであった。1時間ほどであっさり登り切れてしまった。バランコウォールを上り切ると、開けた場所に出た。どうやら定番の休憩スポットらしい。バランコウォールを上り切ったものたちが、休憩していた。天気は良く、キリマンジャロの頂がくっきりと見えた。また反対方向には、タンザニアで2番目に高い山である、メルー山(4566m)が見えた。メルー山はキリマンジャロの西側70kmに位置している。メルー山は成層火山であり、過去の大噴火の前はキリマンジャロよりも標高が高かったとする説もあるらしい。近くに見覚えのあるアジア人の男女がいた。この二人は登山初日からよく見かけていた。アジア人は珍しいので、よく目につく。おそらく私と同じ入山日で、行程が同じなのであろう。男性は大柄の筋肉質で、特徴的な柄の長袖コンプレッションシャツを着ていた。女性は小柄であったが、登るスピードがとても早かったのが印象的だった。どちらも20代後半ぐらいだろうか。ちょうど、お互い休憩中であったので、話しかけることにした。男性はライアン、女性はローラと名乗った。中国人らしい。彼らは中国国内の5000m級の山に登ったことがあり、5000m以上の山は今回が2回目だと言っていた。彼らも私のことを認識していたらしく、お互いよく見かけるよねと言う話をした。お互い無事頂上に辿り着けることを祈り、彼らとは一旦別れを告げ、バラフキャンプを目指す。第十五章 前夜バランコウォールを経て、カランガキャンプに到着した。ここで昼食にするらしい。昨日の昼食のようにランチボックスかと思いきや、なんと昼食を食べるためにわざわざテントを立ててくれていた。2日分の行程を1日で登る分の配慮であろうか。ご飯もちゃんとしたものが出てきた。この昼食で出てきたフライドポテトはとても美味しく、ぺろりと全て平らげた。このポテトが後の私の体に多大な影響を与えることとなる。昼食を食べ終え、3時間ほど歩くと、無事バラフキャンプへ到着した。標高は4700m。ラバタワーが標高4600mであったため、未知の領域である。夕食を終え、テント内で日記を書いていると、ガイドのジャコブがテントに来た。今日の23:00に起床し、23:30に出発するらしい。これには僕も驚いた。想定よりも出発時間が早かったからである。今の時刻は19:00。あと、4時間で出発である。今日はすでに、のぼり1200m、距離10kmを歩いていた。これが行程を1日早めると言うことか、と痛感した。明日はバラフキャンプ(4700m)からステラポイント(5756m)を経て、キリマンジャロ山頂のウフルピーク(5895m)を目指す。ウフルピーク登頂の後、ムウェカキャンプ(3070m)まで一気に下山する。のぼり約1300m、くだり約3000mの行程である。ついに明日、七代大陸最高峰セブンサミッツ、その一つ、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロに登頂できるのである。高揚感と緊張感を胸に、体力をできるだけ回復させるため、すぐ寝支度をし、19:30に就寝した。血中酸素濃度88% 身体異常なし。


第九章 雨音朝4時に起きると、外は雨が降っていた。雨がテントに当たり、パシパシと音を立てる。この音を聞くと、毎回憂鬱な気分になる。雨の中を行動しないといけない可能性が高いからだ。出発は7時。再び寝ようと目を瞑ってみるが、雨音が気になって寝付けなかった。雨の中を歩くのは気が進まない。そう思っていると、朝6時頃から雨脚が弱まり、出発時刻の7時には雨が止んでいた。晴れ男はタンザニアでも健在のようだ。今日は、ラバタワー(4600m)を経由し、高所順応しながらバランコキャンプ(3900m)を目指す。今日も昨日とは景色が打って変わり、目の前にキリマンジャロの頂がくっきり見えた。森林限界の境目にキャンプ場が位置していたらしい。昨日のマチャメキャンプもそうだが、キャンプ場がちょうど植生の境目に位置している。毎日見る景色ががらりと変化し、とても楽しい。森林限界が4000mなのも、さすが熱帯気候の国タンザニアである。日本アルプスでは2500m付近が森林限界であるため、その標高差は1500mもある。キリマンジャロ国立公園は、タンザニアの北東部に位置し、ケニアと隣接している。よってタンザニア国内でも赤道に近い位置にあり、ほぼ赤道直下である。ヨーロッパからの登山者が多いのもこの為であろう。もちろんヨーロッパとアフリカで距離が近いのもあると思うが、ヨーロッパの山々はマッターホルン、モンブラン、ユングフラウなどの3大名峰を含む、4000m峰が数多く聳え立っている。しかしこれらの山々は年中を通して雪を被っているため、標高約6000mで頂上以外ほぼ雪がないキリマンジャロは、彼らにとって珍しく楽しいのだろう。第十章 ラスボス登場今日もガイドのジャコブと歩く。歩くにつれ初めは遠くに見えたキリマンジャロの頂がどんどん近づいてくるのがわかった。同時にそのスケールの大きさに息を呑んだ。現在標高は4500mであり、キリマンジャロの山頂であるウフルピークまで、あと1400mほどである。だが残り1400mとは到底思えないほど、僕の目にその頂は高く映った。ついに目の前に、今回のラスボス、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロの全貌が露わになった。胸が高まり、つい笑みが溢れる。今思えば半年前の思いつきが現実となり、携帯の画面内の存在であったキリマンジャロが今自分の目の前にある。人生何があるかわからないな、なんて他人事のように俯瞰して見ている自分が面白かった。いやお前が登るんだよ?キリマンジャロを目前に、右手にラバタワー(4600m)が見えてきた。600mも登ったとは思えないほどあっという間であった。ラバタワーに着くと、コックのバラカがランチにしようと言ってきた。どうやらこの標高で食事をすることで、高所順応することが目的のようだ。ランチは苺ジャムのサンドイッチと茹で卵、チキン、バナナ、マフィン、ビスケット、マンゴージュースだった。これは後で思ったことだが、キリマンジャロ登山の後に参加したサファリツアーのランチボックスも同様の内容であった。どうやらタンザニアのランチボックスはどこも大体同じらしい。茹で卵とチキンはなんとなく怖かったので残した。食事をしていると、リスのようなネズミのような生物がたくさん周りにいることに気づいた。どうやら登山者の食べ物を狙っているらしい。私が誤ってビスケットを落とすと、すかさず食べていった。これもまた一種の生態系である。ランチを食べ終わると、バランコキャンプ(3900m)を目指し、ひたすら下山する。バランコキャンプまでの道では今までと異なる植生が見られた。頭でっかちな歪な形の巨大な植物。ジャイアントセネシオが登山道の両脇にたくさん生えていた。第十一章 お花摘みバランコキャンプへ到着すると、ウェイターのブレイッソムがティータイムにしてくれた。この時間で毎日日本から持ってきた味噌汁を飲むと決めていた。ブレイッソムには悪いが、彼が持ってきてくれた紅茶やコーヒーを差し置いて、お湯だけ頂戴した。今朝高山病薬を飲んだからか、この日はトイレが近かった。高山病薬であるダイナモックスは利尿作用がある。高山病の症状は、重篤になると肺に水が貯まってしまう。肺に水が貯まる前に尿として体外に出しましょうよ。というのが高山病薬の正体である。以前にも書いたが、トイレの概念はあっても、的を外さないという意識は低いため、トイレ内がとても汚い。故に小さい方は立ちションで済ませると決めた。現地のスタッフはよく立ちションをしているので、咎められることはない。最悪のなのは大きい方である。大きい方はさすがにトイレ内で致すのだが、匂いを嗅ぎたくないため息をしないうちに済ませようとした。ズボンを下ろしたとこで、ここは標高4000mの高知であることを思い出す。息が続かない。仕方なく嗅覚を諦めることにした。ちなみにトイレに行くことを意味する「お花摘み」の語源は登山用語らしい。第十二章 甘さ夕食を終えしばらくすると、ガイドのジャコブがテントに来た。話を聞くとモバイルバッテリーを貸して欲しいとのことだった。私は今回、Ankerの10000mAh一台、20000mAh二台、260000mAh一台の計四台のモバイルバッテリーに加え、ソーラーバッテリーを持ってきていた。主な使用用途は携帯と撮影器具の充電であった。日本からFijifilm-xt4、Gopro11、Osmopocket3を持ってきていたため、かなりの容量が必要であった。この時点ですでにかなりの容量を使用しており、貸す余裕などなかったにもかかわらず、つい反射的に貸してしまった。後になって行程を1日巻くことになったため、結果的にバッテリーを貸しても問題はなく、登山ガイドに親切にしてれば、何か私が困ったときに助けてくれるかもしれないという考えに至ったため、この選択は後悔していない。しかしこれは結果論に過ぎず、考えなしに貸してしまったことが問題である。頂上で撮影できなくなった可能性もあったが、何よりこの甘さが登山では命取りになるかもしれない。反省しこの日は22:00に就寝した。血中酸素濃度 92% 身体異常なし。


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