最終章 自由の頂
この日はバラフキャンプ(4673m)から山頂のウフルピーク(5895m)を目指す。バラフキャンプからステラポイント(5756m)までの1083mはほぼ急登であり、ステラポイントから山頂のウフルピークまでの最後約100mは氷河の上を2kmほど歩き、徐々に標高をあげる。服装は、顔にバラクラバ、ニット帽。上にレイン、ダウンなど5枚。下はレイン、スパッツなど4枚。登山用靴下を2重に着ていた。前日の23時に起床。ヘッドライトの明かりを頼りに頂上を目指す。他にも登山隊が約15部隊ほどおり、各々がゆっくりと、隊列を組み山頂を目指していた。富士山の山頂アッタックの時のように、暗闇の中、他の登山部隊のヘッドライトの光が、キリマンジャロの頂へ向けて、一直線に伸びているのが見えた。僕の部隊は、自分とガイドのジャコブ、コックのバラカの3人パーティーであり、恐らく頂上を目指す部隊の中で一番少数であった。空には雲ひとつなく、満点の星空が広がっていた。地上にはキリマンジャロの麓の町であるモシの街明かりが、無数に絶え間なく輝いていて、まるで星空のようだった。上も下も星空の様な、星空に挟まれたような、幻想的な光景がそこにはあった。この光景は山脈に属さない"独立峰"としては、世界最高峰であるキリマンジャロでしか見れないものなのだろう、そう思った。出発して早々、そんな幻想的な景色とは裏腹に、風速20m/sもの風が僕に現実を見せつけてくる。体が寄れるほどの強風。気温は既に氷点下を下回っており、即座に手の感覚を奪っていった。ガイドのジャコブはとてもペースが早かった。今までの私の様子を見て、早いペースでも問題ないと判断したのだろう。実際に私は、出るのが当たり前とされていた高山病の症状が一切でず、睡眠時間、食事等もしっかり確保できており、ジャコブのペースにも問題なくついていけた。歩いていくうちに、先行していた他の登山部隊をどんどん追い抜かす。標高5500mの地点では、10部隊ほどを抜かし、この日の登山部隊の中で、最も先頭を歩いていた。出発の時には、自らが進む方向には必ず他の登山者のヘッドライトの明かりがあった。しかし、今私の目の前に広がっているのは、ただの暗闇であった。この時初めて、自分が他の登山者のヘッドライトの明かりを見ることで、安心感を享受していたことに気づいた。強風が不安を駆り立て、気温が心を冷ましていく。そして、標高5600mを超えた地点から、飲み水が凍り始めた。高山病薬であるダイアモックスは利尿作用があり、体内の水分を循環させてくれる。それ故に、普段以上に水分補給が重要であった。飲み水が完全に氷ってしまったら、登山の続行は不可能である。完全に氷ってしまう前に登頂する必要があった。次第に焦りでペースが早くなる。しかし酸素濃度は地上の約半分であり、少し登るだけで息が上がる。幸い高山病の症状は出ていないが、疲労は徐々に溜まっていった。何とか4:30頃に標高5756mのステラポイントへ到着。この時はまだ体力的にも精神的にもまだまだ余裕があり、わりと簡単だな、なんて思っていた。そしてステラポイントから頂上のウフルピークまで氷河の上を歩き始めた。氷河の上を歩くのは思っているよりも歩きづらく、また遮蔽物が全くないため、風速20m/sの強風がもろに直撃した。また気温は約-10℃を記録していた。足の感覚が無いことに気づいたのは、歩き始めて200mほど進んだ時だった。寒さで足の感覚が無くなる経験は恐らく人生で初めてであり、凍傷の可能性が頭をよぎった。凍傷に関する知識がほとんど無かったため、どの段階からが危険なのかなど判断が出来ず、不安が増す。また同時に飲み水が凍ってしまい、飲めなくなってしまった。この時、僕の精神状態はかなり不安定になっていた。このまま進んで大丈夫なんだろうか。不安と恐怖が自分の中で膨らんでいくのがわかった。そんな時、後ろから見覚えのある人影が姿を現した。昨日バランコウォールの上で話した、中国人のライアンとローラであった。以前から彼らの登山のペースは早いと思っていたため、彼らも他の登山者を追い抜いてきたのだろう。ライアンは余裕そうな表情をしており、ローラの表情からは少し疲労感が読み取れた。ここにきて見覚えのある人に会え、強張った表情が解けていくのがわかった。私よりも小柄なローラが、懸命に歩いている姿を見て、私も頑張ろうと思えた。共に山頂へ辿り着こうと、互いを鼓舞した。2kmの道のりが永遠に感じられるほど長く、苦しかった。頂上のウフルピークが見えた時、安堵と達成感で泣きそうになった。
2024年 2月8日 5時32分 登頂。
まだ日が昇っておらず周囲は真っ暗だった。写真を撮って、足早に帰路に着いた。丁度ウフルピークとステラポイントの中間地点まで下山した時、朝日が昇り始めた。それと同時に強風が止んだ。周囲は静まり返り、僕の前に今まで姿を表さなかった、キリマンジャロの全貌が明らかになる。その圧倒的なスケールと美しさに息を呑んだ。あまりの非日常さに、初めは映像を見ている気がした。しかし、風が頬を掠め、肌で気温を感じ、吐く息は白く、呼吸をすると鼻腔が冷えた。それら全てが目の前に広がっている光景が現実であることを示していた。
あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。"ウフル"とはスワヒリ語で"自由"という意味。最終章のタイトルである「自由の頂」というのは、キリマンジャロ山頂のウフルピークのことを示しています。このキリマンジャロ登山は、私にとって大きな成功体験になったと同時に、次への可能性を広げてくれました。今後も大学の長期休みを利用して、海外の山へ挑戦していくつもりです。直近では2024年夏に、西ヨーロッパ最高峰のモンブラン(4805m)、ヨーロッパ大陸最高峰のエルブルース(5642m)へ、年末に南米最高峰のアコンカグア(6960m)へ挑戦する予定で、既に動き出しております。皆様の応援があったからこそ、今私はこの登山という分野に、自らの可能性を見出せています。これは誰もが経験できることではない、とても贅沢なことだと思います。改めて、今回のクラウドファンディングでの応援、ありがとうございました。