りんご歴史研究所の木浪です。
昨日のイベントでりんご協会の工藤さんが
弘前城の桜のお話をしてくれました。
ちょうど、私もご縁があって取材していましたので、
Campfireの活動報告も兼ねて投稿します。
青森県りんご栽培のパイオニア
菊池楯衛(きくちたてえ)さん。
彼は、子供のころから園芸、
特に花が大好きだったと言われています。
りんご栽培という大きな課題に取り掛かりつつも、
どうしてもやりたかったのが、
弘前城に桜を植える事でした。
花が好きだったから
桜を植えたのかもしれませんが、
明治初期から弘前城内には
明治政府が陸軍を置いていて、
元城跡の趣を変えていかざるを得ない状況でした。
江戸時代から、多くの植物が
植えられていたのですが、
時代の変化を止める事は誰にもできません。
それを憂いた菊池楯衛さんは、
桜を1000本植えたのです。
しかし、藩士の中には楯衛さんが
桜を植える事に異を唱える人もいて
「殿様がいた場所を行楽の場にする気か?!」
と、植えた桜を抜く人もいたそうで、
これには楯衛さんも流石に心が折れたと言います。
2024年1月9日、弘前公園内、
弘前市みどりの協会で樹木医をされている
堀内弦(げん)さんにお話を伺いました。
弘前公園内に植栽されてきた樹木たち、
その昔から公園内の土は良いらしい、
植物が良く育つという噂を確かめたかったのです。
堀内さん、
弘前公園内には地下水脈があり、
全部の場所が植物にとっていい訳ではないけれど、
確かに生育は良い場所はあるそうです。
私の想像ですが、
その土壌の良さを菊池楯衛さんも知っていたとしたら
花好きな楯衛さんは敷地いっぱいに花を咲かせる
桜の並木を作りたいと思ったのではないでしょうか。
ただ、弘前城公園のさくらは長寿で有名ですが
順調に育ってきたわけではありません。
明治30~40年代、
津軽地方のりんごの木は
寿命を迎えつつあり弱っていて、
病害虫にやられやすくなっていたところを
外崎嘉七さん、楠美冬次郎さん、
島善鄰(ヨシチカ)さんらの
技術開発で復活を遂げます。
その少しのち、
今度は桜の木が寿命とされる頃
同じように弱りました。
この頃、桜は切ってはいけないとされていましたが、
りんご栽培で経験した剪定技術が、
さくらの命を救ったのです。
堀内さんは続けます。
「これまで先人たちが培った「りんご管理技術」が
桜を救った、という事だと思います。
りんご栽培をどこかで諦めていたら、
弘前公園のさくらも、今の様な姿では無かったはずです。
技術と経験もそうですが、実際にそれを桜に行った
「気概」も凄い事だと思います。」
お話を伺って感じた事は、
りんごと桜の両輪が回りだしたのだと思いました。
菊池楯衛さんの夢が大きく動いた気がしたのです。
弘前公園には当時、
菊池楯衛さんが植えたとされる桜が
まだ生きています。
その堂々とした佇まいを
是非、一度ご覧ください。
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りんご栽培の歴史があります。
どうかこのプロジェクトを成功する事で、
私に歴史を伝承する機会を与えて下さい。
宜しくお願いいたします!!!