りんご栽培の歴史に興味を持ったきっかけの一つに
弘前市にあります瑞楽園に飾られた
1枚の写真がありました。
(写真提供:弘前市文化財課)
この写真に津軽地方に於ける
第一次産業のあり方があるような気がしたのです。
瑞楽園とは、
http://zuirakuen.com/
黒石市の金平成園、
https://kuroishi.or.jp/sightseeing/kanehiranarien
平川市の盛美園と共に、
http://www.seibien.jp/
この津軽地方の一帯に300から400か所現存する
大石武学流庭園の代表です。
https://city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/koho/kouhou/r020501_02-03.pdf
大石武学流庭園とは江戸時代末期から
この地に伝わる庭園の流派で、
日本庭園とは趣も異なり、
必ず施されるポイントを押さえ、
岩木山を借景に計算される造園文化です。
この写真、初めて見た時鳥が肌立ちました。
余りの迫力に打ちのめされた感じです。
大きな石を積んだそりを
100人以上の人出が引っ張ってる写真なんです。
(実物は先頭がずっと先までいます。)
瑞楽園の庭はこのような石が400個以上必要なんだそうで、
夏の間、岩木山麓で巨石を掘り出し、
冬、雪の上をそりで滑らせ100人総出で里まで引っ張るのです。
大きな庭園を訪ねて感じた事は「お金持ちが道楽で作った庭でしょう~」ぐらいの感じでした。浅はかな私。
実はこれ、農民の為の冬場の雇用対策なのだそう。
施工期間が、
金平成園は明治15年から明治35年まで。
盛美園は明治35年から明治44年まで。
瑞楽園は明治23年から明治38年まで。
庭を造る時期を少しずつずらす事で雇用を常に作ってきた
「共助」がそこにあったのです。
金持ち道楽説の中にいた私はちょっと泣きました。
今からおよそ130年前のその写真に写る農民は米農家の小作人。
土地を持たずに稲作業で生きている小作人に冬時期仕事がある事はさぞかし心強かったと思います。津軽の冬は寒いだけじゃない。雪との闘いは今でも壮絶です。厳しい冬も共に乗り越える必要を解っていたからこんなシステムが生れたのではないか。
助け合いの造形物として庭園を造る。
なんて、粋なんだろう。かっこ良すぎる。
ピラミッドも公共事業だったらしいけど、
後世まで、庭を愛でる人の事を考えて造られたとしたら
私達もしっかり伝えていかなければと思ったのです。
この写真が撮られた頃、
りんご栽培をしていたのは
まだほとんど元津軽藩士達か地主。
菊池楯衛達のりんご栽培が成功し
りんご産業が高嶺の花になりつつあったころ、
日本全体で見てもこの津軽はかなり活気があったそうです。
大きなりんご農家さんだった庭に、
大石武学流の庭園が多いのは、地域全体で
助け合ってきた証なのではないでしょうか。
第一次産業を守ってこそ人は、
そこに文化を育てる事ができる。
この民意の高さが、私が津軽を大好きな理由です。
いつまでもそういうところであってほしい。