3月17日日曜日9:30~11:30
猿賀公園・平川市観光協会にて
あっぷるぱい(牌)体験会開催無料です。
急に決まったのですが、
お時間ありましたらぜひ、ご参加ください。
私が生れた平川市は
青森県りんご栽培の歴史に於いて
重要な位置を占めています。
1876(明治9)年、
青森県庁に初めてりんごの苗木3本が届いた翌年、
唐竹村の相馬理太郎と
広船村の外川平八の両大地主、
そして、元津軽藩士石火矢男吏は沖舘村に
元津軽藩士中田弥太右衛門は新館村に
りんご苗木の試植を成功させました。
りんご栽培は当時全くの手探り事業の為
職業支援をうけた元藩士か大地主でなければ
りんご栽培をしていません。
多額の資金と土地が必要だったからです。
相馬理太郎の長男貞一は1883(明治16)年に
当時の公立中学校を卒業後、
東京専門学校(のちの早稲田大学)に入学、
法律を専攻した。
明治26年故郷に帰り、農業に従事する。
父理太郎に続き、山林を開墾し、
率先してりんご苗を移植し、
りんご園を「彩美園」と名付けた。
明治31年、栽培同志会を結成して会長となり、
更に37年、竹舘園芸同好会を結成し
りんご栽培理念の根幹を作った。
1907(明治40)年、
本県初のりんご専門組合である
竹舘村林檎購買販売組合を作り、
生産者の生活向上に務めました。
参考文献:小笠原豊著『平川市を築いた人々』
2023年平川ふるさと倶楽部
写真にあるのが、昭和の頃の
竹舘林檎組合のステッカーです。
当時、りんご木箱に貼られ出荷しました。
女性が描かれた物とりんごの絵だけのものとあり
上等品は女性が書かれたラベルが貼られます。
当時、「あね子ペーパー」の愛称で呼ばれ、
正に高値は華だったのです。
一枚は南津軽郡平賀町とあるので、
合併により平賀町が誕生した
昭和30年以降の物と思われますが、
竹舘村表記のあね子ペーパーは
それ以前の物なのでしょう。
そしてりんごだけ3個描かれたステッカー。
この3個のりんごは違う品種をデザインで
描き分けていて、正に当所のカードゲーム
あっぷるぱい(牌)のようで愛らしい。
時代的にまだふじが主力になる前なので
国光、紅玉、スターキング・デリシャスの3つかな。
この、ステッカーは
平川市文化センター資料室で自由に見られます。
また、相馬貞一の開墾した彩美園も
平川市唐竹に現存しています。