笑いの四段階説
私は、本を読んでとある仮説に出会った。
データはないが、とても説得力のある説なので紹介したい。
それは、笑いの四段階説である。
笑いとは、4つの要素でできており、順に説明する。
1.不自然さに気付くこと
笑いに変わるためには、まず不自然さに気付くことが最初だ。
例えば、人が転んだとする。
それが、雪が降って凍った道や、スケート場だとすると、なんら不自然ではない。滑る可能性は十分に考えられるからだ。
しかし、夏のコンビニの前だとどうだろうか。
転ぶ要素があまりない場所で転んだ場合は不自然となる。
そういった転ぶ要素があまり考えられない場所で友人が転んだ場合、「何やってんだよ(笑)」と笑う可能性がある。
もちろんそれだけでは笑いは起きないが、まずは不自然さに気付く点が重要だ。
また、不自然さに気付かない――誰かが転んだことに気付かない場合も当然笑いには成り得ない。
私がとある車のアニメを観ていると「コイツ86と間違えて85買ってきたぜ」というセリフがあり、脇役が笑われていた。
私はこの笑いどころが一切わからなかった。
なぜなら、86や85が何のことだかわからなかったからだ。
これがわからなくて友人に相談したところ、的確なたとえが返ってきた。
「コイツWiiUと間違えてWii買ってきたぜ」と同じようなものというたとえだ。
私はゲームが好きなので、このたとえですぐにピンときた。
要するに新しい機種を買うつもりが、古い機種の方を買ってしまった、ということだ。
86、85は車の種類のようだった。(それ以上は分からない)
私にとっては、86の話よりもWiiの話の方がピンとくる。つまり、どこが不自然かが分からないと笑えないという点で、この説は正しそうだ。
これは、SNSの投稿にも使える。
たまに画像だけ載せて「????」だとか「wwwww」だとかだけコメントしている人がいるが、それでは笑いどころがわかりにくい。
そういうときは画像と共にツッコミどころを添えるとたくさんの人に気付いてもらいやすい。
もちろん、笑いを狙っていない場合はしなくてもよい。
2.親しみ
例えば、道で誰かが転んでいる場合
A.赤の他人が転んでいる場合
B.ゆるキャラが転んでいる場合
では、B.の方が圧倒的に笑いになる可能性が高いだろう。
これは、B.の方が親しみを持てるからだというのが2つ目だ。
もしA.で笑う人がいたらすごく失礼だ。
3.非当事者性
例えば、道で誰かが転んでいる場合
A.自分の祖父が転んでいる場合
B.ゆるキャラが転んでいる場合
では、B.の方が圧倒的に笑いになる可能性が高いだろう。
A.の場合、笑っている場合ではなく、助ける必要があるからだ。
自分に関係があるほど笑いに繋がらなくなる。
4.心の解放ができるか
最終的に笑うかどうかは、どうしても個人による。
そこで、心の解放ができれば笑う、ということにする。
例えば、コウメ太夫という芸人のネタに「朝はごはん派かと思ったら ニョキニョキペンギンでした チクショー!」というネタがあるが、はっきり言って意味が分からない。
しかし、これでも十分に笑える。笑った人が少なくともここに一人いる。
このネタを見た場合、二通りに分かれるだろう。
A.「ニョキニョキペンギンってなんだよ(笑) 」と笑う
B.「こいつは何を言っているんだ? ニョキニョキペンギンって何?」と真剣に考える
A.の判断ができることを、『「笑い」の解剖: 経済学者が解く50の疑問』の著者、中島隆信は、心の解放と呼んでいる。
人間は脳のリソースが限られている。
目の前に理不尽な事態が起きた場合、なぜそのようなことが起こったか考えた場合に結論がでないことが多い。
結論が出ないことをずっと考えていては脳のリソースが無駄になってしまう。
そこで笑いによって脳のリソースが解放され、もう悩まなくて済む、というロジックである(やはりデータがないので何とも言えない)。
以上、笑いの四段階説を紹介したが、これだけではすべての笑いを説明するのには不十分だ。
例えば、部屋が暗いときに「どうだ、明るくなったろう?」と言って電気を点けると、あの成金の風刺画を知っている人ならクスっと笑えるのではないだろうか。
文脈もシチュエーションも特に不自然さはないのに笑いになってしまうのは、受け手が「どうだ、明るくなったろう?」という言葉から成金を想像してしまうからだと思っている。
このように、四段階説からは説明できない笑いもいつかは解明したい。
参考文献:中島隆信『「笑い」の解剖: 経済学者が解く50の疑問』(慶応義塾大学出版)
<スッキリ>コウメ太夫「チクショー」④ 朝はごはん派かと思ったら…【見逃し配信】
https://www.youtube.com/watch?v=zsBr_tseCD0