あなたはこういった返しをしていないだろうか。
あるいは、こういった返しを周囲から聞かないだろうか。
「好きな食べ物は何?」
「うんこ」
「今なにしてるの?」
「息してる」
「海外旅行に行ってきたよ」
「童貞なのに?」
小・中学生が言っているのであれば大目に見ることができるが、大の大人がこういった返しをするのを聞くと「お前はもうしゃべるな」という気持ちになる。
こういった返しのギャグがつまらないことを前提に話すが、ここで問題にしたいのはこういったギャグがなぜつまらないのかである。
え? つまらないよね?
少なくとも私はつまらないと思う。
そのカギはグライスの公理にある。
グライスの公理とは、コミュニケーションを成り立たせるうえで、暗黙で守られているルールである。
言語学者のポール・グライスは、これらを公理として以下を提唱している。
1.量
多すぎても短すぎてもいけない
2.質
嘘をついてはいけない
3.関連性
関係のないことを言ってはいけない
4.様態
正しい順序で言い、曖昧なことを言ってはいけない
順を追って説明する。
1.量 多すぎても短すぎてもいけない
例えば、友人から「あの水族館には行った?」と聞かれたとする。
この問いに対して「うん」だけだと短すぎるのでNGだ。
逆に
「この前の土曜日に弟と行ったんだけど、道路がめちゃくちゃ混んでて、着くころにはヘトヘトだったけど面白かったよ」
だと長すぎる。
模範解答は「うん。おもしろかったよ」というような回答である。
話し手が聞きたいのは、あの水族館に行ったかどうか、その Yes か No だけではなく、その言葉の裏にある「あの水族館はどんなところか聞きたい」ということも含まれている。
そのため、「うん」だけの返事だと「そうじゃないんだけど……」と思われてしまう。
つまり、あの水族館に行ったかどうかだけではなく、感想も含めた回答が要求されている。
この両方に答えたボケの模範解答が「うん。おいしそうだった」である。
このように、ボケる場合は相手が聞きたいことに対して答える形が良いと思う。
2.質 嘘をついてはいけない
例えば、タヌキにそっくりのアナグマが現れ、アナグマを知らない場合に「この動物は何? タヌキ? アライグマ?」と聞かれたとする。
これに対して「それは魚だよ」と言うのはNGだ。魚ではないのは見たらわかる。
模範解答としては「なんだろう、調べてみよっか?」などである。
ボケの模範解答としては「本人に聞いてみたら?」ぐらいだろうか?
嘘はついておらず、会話はちゃんと成り立っている。
3.関連性 関係のないことを言ってはいけない
例えば、「ここで新たなチャンピオンが誕生しました。何度目の挑戦でしょうか?」と聞かれたとする。
これに対して「うんこ」「いたみどめ」などと答えると全く意味が分からない。
説明するまでもないが、何度目か聞かれているのに対し、「うんこ」「いたみどめ」は回答になっていない。
故につまらないと感じるのである。
これも許されるのは子供までだろう。
模範解答としては「いやー、5度目ですね」だとか、ボケるなら「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?*」である。
(*荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』集英社 ディオ・ブランド―のセリフ)
ボケるならせめて会話が成立するようにボケてほしい。
4.様態 正しい順序で言い、曖昧なことを言ってはいけない
例えば、「テントウムシは好き?」と聞かれたとする。
「テントウムシはヤバいね!」と答えると、これは回答にならない。
「ヤバい」には、「好き」という意味にも「嫌い」という意味にも捉えられるからだ。
「トムソンガゼルの方が好き」と答えるのも良くない。「テントウムシが好きかどうか」という質問に答えていないからだ。
模範解答としては「好きだけど、何で?」とか「嫌い」とかだろう。
量の公理で短すぎる回答は良くないと言ったが、ここではテントウムシが好きかどうかを聞く意図が不明であるので、「嫌い」だけでも成り立つ。
ボケとしての模範解答は「弁当についてる緑の仕切りと同じくらい好き」といった感じだろうか。
つまり「好きでも嫌いでもない」「どうでもいい」ということである。
正しい順序が説明できていないので説明する。
例えば「新宿に行った。買い物をした」と聞くと「新宿で買い物をした」と解釈するのが自然である。
しかし、「新宿で買い物をした」ことを伝えるために「買い物をした。新宿に行った」と言うと、「買い物をしてから新宿に行った」と解釈してしまうのでNGということである。
ボケに転用できそうにないので省略する。
このように、返しのギャグでは、基本的にグライスの公理に従っている必要がある。
「なんで俺の渾身ギャグがスベるんだろう」という方は胸に手を当てて考えてほしい。
あなたのギャグはグライスの公理に則っているだろうか?
さて、あなたがこういった基本ができている場合は次の例外も読んでほしい。
一見グライスの公理に反するようなことでも、実は意味が通じるというパターンも存在する。
1.量の公理に反する場合
例えば、「水族館には行った?」と聞かれたことに対し、敢えて「うん」とだけ答えたとする。
これは「あなたとはもう話したくはない」という意思表示の可能性もある。
2.質の公理に反する場合
例えば、遅刻常習犯の友人がいつも通り遅刻してきた時に「時間通りだね」と言ったとする。
友人は遅刻しているので質の公理に反するが、いつも遅刻している友人への皮肉にも捉えられる。
返しのギャグに関して言うなら、明らかな嘘を教える「でたらめ」という分類(私が分類した)のギャグがある。
部活動やサークル活動などで点呼をとるときに「全員いる?」と聞かれ「1人多いです」と答えた場合などである。
3.関連性の公理に関する場合
例えば、「この前貸した小説どうだった?」と聞かれたときに「ぐっすり眠れたよ」と答えたとする。
小説の感想を答えていないにもかかわらず、退屈だったということが分かる。
上記の例、「ここで新たなチャンピオンが誕生しました。何度目の挑戦でしょうか?」に対して「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」と答えたとする。
これは「あなたが食べたパンの枚数を覚えていないのと同じように、自分が何度挑戦したか覚えていない」という意味である。
何度目の挑戦かには直接答えているわけではないが、ちゃんと答えにはなっている。
4.様態の公理に反する場合
例えば、「できない」ということを「難しい」と表現するのがそうだ。
日本語にはこのような婉曲表現が多い。
グライスはまた、言葉通りの意味とは別の意味である「含意」も提唱している。
上記の例「あの水族館には行った?」という発言には「あの水族館に行ったのであれば、どんなところか聞きたい」ということも含まれている。
なので、もしあの水族館に行ったのであれば感想を答えるのが最適な会話である。
これを読み取れない人は「うん」とだけ答えてしまう。
もしも刑事がアリバイを聞くために「あの水族館に行ったのか?」と聞かれたのであれば、刑事は「水族館に行ったかどうか」を聞きたいため、「はい」とだけ答えても問題ない。
深い含意はなく、言葉通りのパターンである。
含意に頼りすぎてコミュニケーションが成り立たない場合もあるので注意だ。
例えば、「来週の月曜日遊ぼうよ」に対し「水曜日テストだよ」と答えた場合、人によって解釈が異なってしまう。
「テストがあるから行けないんだね」という人もいれば「テストと遊べるかどうかは関係ない」という人もいる。
相手が誤解しないように言うことも重要だ。
これを踏まえて冒頭のつまらないギャグを見てみる。
「好きな食べ物は何?」
「うんこ」
→ 質の公理、関連性の公理に反する。じゃあうんこでも食べてろ。
「今なにしてるの?」
「息してる」
→ 今どんな行為をしているのかが気になっているのであり、息をしているのは自明であるので答えになっていない。含意を汲み取れていない。
「海外旅行に行ってきたよ」
「童貞なのに?」
→ 海外旅行と童貞は関係ない。関連性の公理に反する。
こういったギャグを言っている人が身近にいたら、ぜひその人に伝えてほしい。
「そのギャグ、グライスの公理に反してるからウケないよ」