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予約待ち6カ月の卵「しゅりたま」をもう一度 森の中に放し飼い養鶏場を作ります!

人気の最中、野生動物たちによって鶏さんたちが被害を受け廃業に。あれから5年、「しゅりたま」完全復活に向けて動きはじめました。今度は、「森の中に放し飼い養鶏場」をつくります。食の安全が求められている今こそ!本当に安心できるたまごを子どもたちに届けるため、新たなチャレンジに挑戦します。

現在の支援総額

1,982,500

198%

目標金額は1,000,000円

支援者数

171

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/03/02に募集を開始し、 171人の支援により 1,982,500円の資金を集め、 2024/04/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,982,500

198%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数171

このプロジェクトは、2024/03/02に募集を開始し、 171人の支援により 1,982,500円の資金を集め、 2024/04/30に募集を終了しました

人気の最中、野生動物たちによって鶏さんたちが被害を受け廃業に。あれから5年、「しゅりたま」完全復活に向けて動きはじめました。今度は、「森の中に放し飼い養鶏場」をつくります。食の安全が求められている今こそ!本当に安心できるたまごを子どもたちに届けるため、新たなチャレンジに挑戦します。

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現在、私が開拓を進めて
農場を再興しようとしている場所



三原村旧芳井小学校(正式には分校)


芳井分校は、戦後の昭和22年に
入植を開始した三原村大字下長谷地区
セキゼ(旧しゅりの里)・横山地区の子供たち



特に1~4年生にとっては南分校への
通学路が7.5~8.5キロと遠く、
甚だ危険なため開設された学校です。


三原村史の芳井分校に関する記載によると



セキゼ・横山地区の両開拓地は、
昭和22年に入植を開始



入植世帯数15戸 人口61人



開拓地域からの南分校まで
小学1年生~4年生の児童にとって



通学するにはあまりにも過酷で
人家もまばらで山も険しく



川の断崖に挟まれた悪路が多く
南海地震後は雨季・冬季において
甚だ危険である。



と記載があります。



そのため村は、昭和28年に
芳井分校を開設しました。



昭和28年 児童数17人



昭和33年 児童数35人



それからは、開拓地においての
離農などにより子供が減少・・・



昭和52年に南分校に統合され
24年間の分校の歴史を閉じました。



それから幾多の歳月を経て・・・



しゅりの森として
ここに農場を開こうとしています。


入ってすぐの状態は、
校舎は崩れ落ち・・・
教職員住宅のみ、かろうじて残ってました。



床から竹が生えて天井を突き破り
天井を見上げると・・・
数か所、空が見えていました。


お金も全くなかったものですから・・・
廃材や資材をご近所さんからいただいて



腐った梁は、ジャッキアップして
つぎはぎして・・・ 



少しずつ 少しずつ・・・



外壁をあらたに貼りかえたり、
屋根(もはや瓦がない部分)を修繕
床を貼ったりしておりました。



それはそれは 楽しくって!



生きてるぞ!やってるぞ!って
実感していたわけですね(苦笑)



う~ん この性格
う~ん この性分



治りませんねえ・・・(苦笑)



一気にフロンティア魂の火が、
ふたたび灯ってしまったわけですね。



いつの日か・・・
ふたたびこの地に学び舎を復活させたい!



たくさんの子供たちの
はしゃぎまわる声を聞きたい!



そんな日を目指して
頑張っていきたいと思います!



みなさんこれからもしゅりの森開拓物語を
応援・ご支援 よろしくお願いします。



ネクストゴール達成のため
シェア・拡散もよろしくお願いします。



高齢過疎化の進む里や森を守る
未来を担う子供たちのため 安全で安心なものを作る


しゅりの森自然農園  開拓者  藤田守


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