2024/08/18 08:13
みなさん おはようございます。
水源復旧工事も一息つき、
開拓地にふたたび、沢山の水が来るようになりました。
水源の山に上がるたびに思うことを
少し書いていきたいと思います。
みなさんが山へ遊びに行かれた時、
自然がいっぱい!って、思われることと思います。
しかし、その日本の森の98%が、
人の手によって育てられた森であるって
ご存じでしょうか?
日本の森林はスギやヒノキの人工林が約40パーセント。
残りはそれ以外の木々で、
薪や炭を生産する人が育てていた森林です。
人の手が入っていない原生林は2%しかありません。
日本の森林は手を入れられることによって、
守り育てられてきたという歴史があります。
6〜14世紀には、森林の天然更新による回復に頼り、
天然林をひたすら伐採し続ける「採取利用」は、
近代に至るまで続いてきました。
その長い歴史の中で日本の山林は徐々に荒廃しましたが、
中世までは主に森林の天然更新による回復に頼ることで、
辛うじて利用できていました。
しかし、15〜17世紀になると、
大都市の木材消費量が爆発的に増加して、
多くの大建築物の造営、江戸や京都、大坂といった
大都市において、木材の消費量が爆発的に増加しました。
そのため、日本の国土が広く裸山となるほどの、
全国的な山林の荒廃を招いてしまいました。
17世紀以降、建築用木材の品質低下や供給不足が顕著になり、1661年には尾張藩らが御留山を指定し、
幕府は1685年に御林奉行を設置。
1751年には秋田藩が30年ごとの
伐採順序を決める番山繰を導入
17〜19世紀 各地で保続的な林業への取り組み開始
藩による自主管理で森林保護と木材供給を両立
尾張藩(木曽桧)、秋田藩(秋田杉)津軽藩(青森ヒバ)などで留山(伐採制限)や禁伐を行い、森林を保全。
植林と天然更新を進め、
藩による自主管理で森林保護と木材供給の両立を目指しました。
こういた施策と長い年月と先人の労苦によって
日本の山と森が復活再生してきた歴史があるのです。
しかし、1955年から60年代にかけて段階的に進められた、
木材の輸入自由化がはじまり、
輸入木材は爆発的な需要を賄い、
高度経済成長を下支えしてきました。
木材の輸入拡大によって
国内の森林を温存することができましたが、
一方で、日本の林業は国際価格との競争に巻き込まれ、
同じ頃にはじまった、
エネルギー革命による化石燃料の普及も、
林業に大きな影響を与える出来事でした。
日本人の生活において
石油やガスへの依存度が高まったことで、
それまで暮らしを支えていた薪炭の需要が大幅に減少。
薪炭用の木材を生む薪炭林(広葉樹林)の需要も急速に減り、
広葉樹林は構造材として扱いやすい
スギ、ヒノキの針葉樹林へと置き換えられていきました。
しかし・・・
林業を仕事にしている人は、1800人に1人。
1990年、林業に携わる人は0.5%。
現在はそれ以下になり、高齢化が進み、
深刻な林業の担い手不足となっています。
結果、森林の手入れをする人が減り森が荒れて、
健全な森が育たなくなっています。
そうなった原因は、
日本の木を使わなくなったため、木の値段が安くなり、
林業で生活が成り立たなくなっためです。
最近カメムシの大発生が、ニュースになっていますよね。
カメムシの発生数は、
スギやヒノキ花粉の飛散量と関係があると言われています。
カメムシはスギやヒノキの木に卵を産みます。
卵から孵ったカメムシは
スギやヒノキの実をエサにして成長し、成虫になります。
そして、エサとなる杉ヒノキの実がなくなると、
エサを求めて畑や市街地に現れるそうです。
つまり、スギ・ヒノキの花粉数が多い年は、
→カメムシのエサになる球果も多くなる
→カメムシ大量発生となるわけです。
カメムシが悪いわけではなく、
これも森の管理を放棄した人間のせいです。
自然を改変したのであれば、
最期まで人間がしっかりと管理することが大事
それが出来ないのであれば、
森を出来るだけ自然に近い状態に戻す
こういったことが必要じゃないでしょうか?