
みなさん おはようございます!
深夜から、ずっと雪が降り続いています。すでにお外は銀世界
寒いですねぇ・・・ブルブル

一昨日投稿した水源の奥の先人の方々の地域文化遺産深い谷の両側までに至る
大きな石垣を組んだ石堤
ご近所の方や長老の方からお話を聞かせて頂き
あらためて調べた結果どういった経緯で作られたものであるか判明しました。
大正9年(1920)8月15日、台風が土佐湾を北西進して足摺から上陸
豪雨となり、3日間で1,000ミリを越え甚だしい浸水害に見舞われ、
県西部では多数の死傷者を出した。
被害は死者186人、負傷者31人、全壊310戸、半壊342戸、流失185戸、床上浸水7,895戸、
床下浸水8,875戸、堤防決壊821箇所、破損397箇所、道路の流失・埋没976箇所、
破損818箇所、橋流失315箇所、破損25箇所に及んだ。
豪雨のため、山は崩れ、田畑の石垣が流れ、渓谷は濁流の谷となった。
高知県災害異誌」(高知県、1966年)
三原村史
大正9年(1920)8月15日、16日、大洪水が発生し、
三原村は有史以来の大災害を受けた。
被害は死者19人、負傷者15人、牛馬の圧死4頭、流失2頭、住家の流失13戸、埋没・
破壊60戸、半潰80戸、浸水100戸、非住家の全潰100戸、半潰30戸、流失30戸、浸水400戸、山林崩壊1万箇所、田地の流失・埋没114町5反歩、10年以上荒地免租地66町9反歩、
畑地の荒廃13町歩余、その他至る所で道路が流失・埋没し、堤防が決壊・流失し、
一望荒原連続して復旧は容易ではないと思われた。
(村会での村長報告による)
(備考)
この災害時に、三原村は神戸の鈴木商店から多額の支援をいただいていたため、
平成7年の阪神大震災の時には、その恩返しとして神戸市等に対して
50万円と白米4トンを送り届けた。
新編 三原村史」(三原村、2003年)
台風が足摺岬に上陸し、未曽有の被害が出たことがこれらに記載されていました。

大災害が出た後に、二度とこういう被害を出すまいと、村民総出で復興にむけて尽力され、
その尽力された跡が、この石堤という訳です。
今の私たちが幸せに・安全・安心に過ごすことが出来るのは
先人の方々の血のにじむようなご尽力があってこそ!
それらを決して失わせてはいけない!
この里を守り、森を守っていかなねば!
あらためて、そう感じた次第です。



