
みなさん、おはようございます!
「水」それは、生きとし生けるもの全てにとっての「命の源」
私たちは普段
蛇口をひねれば当たり前のように水が出る生活を送っています。
しかし、その1滴の水はどこから来ているのか?
真剣に考えたことはあるでしょうか。
私がこれほどまでに「水」に執着し、こだわり続けるのには、
人生を変えた「2つの原体験」があります。
1. 南米パラグアイ:命を懸けた井戸掘り(1992~1994年)
今から約35年前、私は青年海外協力隊の養鶏隊員として、
パラグアイの奥地にいました。
現地の水事情は凄惨でした。
人々が口にするのは、ボウフラが湧く濁った水たまり
不衛生な環境下で、幼い命や高齢者が
次々と失われていく現実がありました。
私自身も赤痢やチフスを患い、死の淵を彷徨いました。
「清潔な水がなければ、命は守れない」
一命を取り留めた私は、
決意を胸に手作業で井戸を掘り始めました。

3本目の井戸でようやく水脈を当てた時の震えるような喜び。
しかし、試練は続きます。
鶏たちの飼育が軌道に乗り始めた矢先、
あんなに溢れていた井戸が忽然と枯れてしまったのです。
人も鶏も、渇きに喘ぐ日々。
遠くの川まで馬車を出し、朝から晩まで水を運ぶ毎日が続く中
諦めずに掘り進めた新たな井戸から、
再び豊かな水が噴き出したあの日。
村人たちと抱き合って泣き笑いした光景は、
今も私の魂に焼き付いています。
2. 国内での開拓時代:大自然との格闘(2002~2019年)
2002年、私は「セキぜ」という消滅集落の開拓を始めました。
水道などない場所です。調理も風呂も洗濯も、すべては川。
真冬の凍てつく川に体を清め、水を汲む作業は、
まさに肉体を削る修行のようでした。
やがて先人の知恵を借り、山からの引き水に成功した時の感動
蛇口から透明な水が流れた瞬間、震えるほど心が震えました。
しかし、大自然は時に残酷です。
大雨が降れば水源は流され、私は荒れ狂う川を泳いで渡り、
修復に奔走しました。
酷暑の干ばつでは、鶏たちが口を開けて必死に喘いでいました。
枯れ果てた水源を前に祈るような気持ちで過ごした数週間。
ようやく待ちわびた雨が降り注いだ日、
私はたまらずパンツ一丁で外に飛び出し、
天を仰いで「雨のシャワー」を浴びました。
全身で受け止めた雨の冷たさと、大自然への畏怖。
あの日感じた高揚感は、今でも昨日のことのように鮮明です。
「これからの決意」
昨今、何十年に一度と言われる異常気象が頻発しています。
もし今、この状況下で鶏たちがいたら・・・
そう思うと、背筋が凍る思いです。
だからこそ、私は今日も山へ向かいます。
大切な命を預かる前に!
何があっても決して枯れない!
豊かで清らかな「命の水」を求めて。



