こんにちは、didiです
ネパール・カトマンズの自社工場で作ったオリジナル製品を日本の皆様にお届けしています、株式会社didiです。2003年に福岡で生まれ、20周年を迎えました。
カトマンズの工場では、これまで特に女性の支援をしてきました。金銭的に困っている彼女たちに技術を習得してもらい、雇い入れる活動をしています。過酷労働や児童労働のない工場環境のもと、可能な限り天然素材・リサイクル可能な素材を使用した製品づくりを心がけています。
本プロジェクトリーダー、株式会社didi専務 兼 チーフデザイナーのSONOGA KATOです。
会社名そしてブランド名として使っているdidi(ディディ)はネパール語で「おねえさん」という意味です。私もネパールではdidiと呼ばれています。エシカルな製品づくりを目指しネパール↔日本で日々奮闘中です。
クラウドファンディングアワードにノミネートされました!
didiのクラウドファンディングについて紹介させてください。今年9月に実施したプロジェクト「ネパール『天空の小学校』の生徒に給食・かばん・靴・文房具と笑顔を送りたい!」が、なんとCAMPFIREの2023年度アワードに選出されました。
「『手に余るプロジェクトより手のひらサイズのプロジェクトをしっかり進めて、継続していきたい』プロジェクトオーナーさんの絶対に成功させる!という熱量に心動かされ感銘を受けました。」という推薦文をいただき、数あるプロジェクトの中からdidiのチャレンジが選ばれたことを大変嬉しく名誉に思います。
天空の小学校との出会い
ここまで20年間didiを続けてこられたのは、もちろんdidiの服をご愛用くださる日本のお客様のおかげですが、商品を作ってくれるネパールの人たちのおかげでもあります。ありがたいことに、在日ネパール人にもdidiの活動を応援してくれる方が出てきました。
2023年8月のある日、大阪の商社で長年働いているネパール人の友人ウッタムさんから電話がきました。「didi、ネパールで最も貧しい地区の小さな小学校があります。そこの校長は私の友人なんですが、信じられないくらいがんばってます。なんとかしたい。didi、この学校を支援できませんか?」
紹介先のビシュヌ校長から早速メールがきました。didiスタッフは事務所の部屋に集まり長い長いメールを一気に読みました。そして私たちは静かに涙をこぼしました。
わたしたちの心を打ったそのメールとは……
校長のメール、子どもたちからのSOS
「私の小学校には32人の生徒がいます。しかしたった32人の全生徒が揃うことはほとんどありません。なぜなら彼らが登校するのは家の仕事がない時だけだからです。また子どもたちには不足しているものも多く、それも登校できない原因のひとつです。
私は彼らが学校に来てくれるだけでも涙が出るほど嬉しいのです。この愛しい小さな子どもたちは、裸足で、カバンに本も入れず、時にはカバンも持たずに、空腹で泣きながら、それでも学校に来るのですよ!
村の大人には読み書きができない人もたくさんいます。この子たちには教育を受けさせて可能性を広げてあげたいのです。私は自分の人生において大切な時期を20年以上もこの学校のために捧げてきました。辺境の貧困にあえぐ土地、ある程度の格差は覚悟していました。でもやはり私の心は、町の子どもと村の子どものあまりの格差を比較してしまうのです。
せめて、この可愛い子らに読み書きだけでも身につけさせたい。そして願わくばもっと教育を受けさせて村に役立つ人材になってほしい。そう切に願います。その願いがかなうことが、人生後半にさしかかった私の、そしてあなたたちの大きな大きな財産になるのではないでしょうか?」
(ビシュヌ校長からのメール、一部省略の上で翻訳)
「世界にはまだこんな所があるんですね」「なんとかしたいよね」
「SONOGAさん、ビシュヌ校長と連絡取れる?」
私たちは居ても立っても居られず、もう日付も変わりそうな時間なのも気にせず、校長にコンタクトを取りました。
すぐに「ビデオチャットをしませんか?」とメッセージが来ました。
「ナマステ!私が校長のビシュヌです。こちらは寒くなってきましたよ」8月の猛暑の日本と、何も無い部屋でたくさん服を着込んだビシュヌ校長との初めてのビデオ越しの対面です。校長から断片的に聞くテンジン・ノルゲイ小学校の子どもたちや現地の様子は、私たちの生活とは全く異なるものでした。リモートで知るヒマラヤ奥地の現実。私たちはその時点ですでにカルチャーショックを受けていました。
ビデオチャット後、すぐ校長からこのようなメールが入っていました。
「あなたがたと話した後、興奮で眠れずメールを書かずにはいられませんでした。本当に嬉しかったんです。世の中にはこんな人たちがいてくれる!しかもその人たちはネパールに貢献してくれる日本人というのも誇らしかった。そしてその日本人が私の心を理解してくれて手を差し伸べてくれたのですよ!心の底から頼もしく、ありがたく、嬉しかった……。」
ビシュヌ校長がこの村に来てから20年。奇しくもdidiの歴史と同じぐらいです。中には初期の教え子が家庭を持ち、子どもをテンジン小学校に通わせている人もいます。村の移り変わりをずっと見てきたビシュヌ校長ですが、20年前はテンジン小学校は学校としての機能すらなかったといいます。
ネパールの公立学校は、政府がルールに基づいて教科書や給食費などの予算を分配したり、教師を派遣したりして運営されています。しかしその決まりが杓子定規で融通が利かないそうです。首都であるカトマンズの給食費も、物資の運搬費用がかさむカコット村の給食費も、一律で決められてしまっています。この給食費をなんとか確保するために、テンジン小学校では今年度は先生の給料を削って捻出したそうです。文房具も学用品も、照明も暖房も足りない。劣悪な環境で、それでも読み書きを教えているのは政府から派遣された3人の先生たちです。
校長先生に、生徒たちを紹介してもらいました。
ノルジン・ブダ(5歳)彼女はお父さんもお母さんもいません。死別ではないようですが、ノルジンちゃんを残してどこかへ行ってしまいました。
なぜ大切な娘を置いていったのでしょう?ノルジンちゃんのご両親だけでなく、ネパールの田舎には結婚生活が上手くいかない人たちもたくさんいます。その理由のひとつに、早すぎる年齢での結婚が挙げられます。中には親が決めた人と10歳で結婚させられる例も未だに存在するそうです。
今はおじいちゃん・おばあちゃんと一緒に暮らしています。暮らし向きは豊かではなく、いつもお腹を空かせています。まだ5歳ですから、学校に来るのはおばあちゃんに手を引かれないと来られません。学校が大好きです。もっと通いたい!とおばあちゃんにせがんでも、なかなか連れてきてもらえません。おばあちゃんも家のことがありますから……。みんなと鬼ごっこなどで遊ぶのが楽しい!もっと学校に行きたい!というノルジンちゃんです。
テンジン・プルバ(15歳)
学校の名前と同じテンジンくん。この辺りの地域は名前の種類があまりたくさんないので、同姓同名は珍しいことではありません。
お父さんがいません。ゆえに家計が厳しく、弟と妹は幼いうちからラマ僧の修行のためカトマンズに出家させられました。この地域はチベット仏教の文化が根強くある地域だからです。
一方テンジンくんは、お母さんから働き手として期待されています。まだ勉強を続けて将来は学校の先生になりたいという夢も持っているテンジン君。来年も学校に行けるだろうか?と不安に思っているようです。
ペマ・グルン(12歳)
ペマさんの実家は学校から片道徒歩3時間のところにあるため、学校の寄宿舎に寝泊まりしています。一度実家に戻ると、家の手伝いがあるのでなかなか学校に戻れないそうです。それでも、将来自立したいという強い意志を持つ彼女の夢は看護師です。
医療援助のためにヨーロッパなどから医療従事者がこのようなネパールの僻地にもやってきます。ペマさんは、ヨーロッパの看護師さんたちと出会い、看護師になりたい!と心に決めたそうです。勉強すれば願いが叶う!と学校では国語(ネパール語)と英語をがんばっています。
テンジン小学校とカコット村について
私たちが「天空の小学校」と呼んでいるシュリー・テンジン・ノルゲイ基礎学校(以下、テンジン小学校)。ネパールの北西部、カルナリ州ドルパ郡カコット村にあります。
テンジン小学校の近くには、どれもかなり小規模で簡素なものですが、診療所・村役場・警察があり、カコット村の中心地となっています。登山家からの寄付や外国の支援団体が送ったソーラー発電システムや、微弱ながらWi-Fiもあり、これを使って校長と私たちはビデオチャットやSNSでやりとりをしています。
カコット村の標高は3,280m。村の近くには6~7,000m級の山があり、そこを目指す登山家たちの中継地として立ち寄られることもありますから、テンジン小学校は、文字通り「天空の小学校」です。
ただしエベレストのようにたくさんの登山家が来る人気ルートではないため、道は舗装されていません。車はおろかバイクも通れません。そのため荷物の運搬はラバやヤクといった運搬に適した動物に限られます。村には店や市場がないので、物資は夏の間に男性が街に降りて確保してきたりといった不安定な生活を村人たちは強いられています。
村の人口はおよそ200人。
村人たちの1日はあっという間に終わってしまいます。毎日食事や暖を取るための薪や木材を採りに行かなければなりません。ヤクという家畜の世話も大事な仕事です。物資が乏しい村ではヤクの乳は大切な栄養源です。ヤクの乳からはチーズやバターといった乳製品をつくることができます。畑もありますから農作業もあります。それでも空いた時間に家畜の毛でパトゥカという布を織る女性もいます。食事の用意や保存食を作る毎日の作業もあります。
とてもじゃないけどひとりではこなせない仕事量です。ですから家族全員でこれらの仕事を分担します。日々生きていくのが精一杯……学校に来ることができない子がいるというのもなるほど頷ける話です。なんとか安定した収入につながる仕事ができないだろうかと校長とdidiで話し合っています。
支援金を送るだけはダメ?
CAMPFIREにて皆様からご支援いただいた物資や資金を学校に渡したら、それでハッピーエンドなのでしょうか?このプロジェクトを進めるうちにそんなことを考えるようになりました。
校長から、こんな話を聞かされました。以前フランスの団体がテンジン小学校を支援していたのですが、集まったお金を現金として村の行政の長に渡した際、かなりの金額がなくなっていたそうです。また、支援物資がどこかに行ってしまったり、減ってしまったこともあるそう。日本では考えられないことですが、悲しいかな、それがヒマラヤの貧しい僻地の現実なのです。
支援金を校長に渡して、それを文具などに替え学校に寄贈しても、この金はなんだ?と痛くもない腹を探られる。校長や役人にお金を直接渡すのはやめてほしいと校長自身からお願いされました。
支援者の皆様からの大切なお金を現地に役立てるのが私たちのミッションです。ところが、その支援金のせいで現地で争いや犯罪が起こってしまってはなんにもなりません。
私たちがテンジン小学校まで行き、直接物資を届けます!と第2弾で宣言したのはそのためです。
麓のドゥネイ村からカコット村までは徒歩しか移動手段はありません。しかも2~3日かかります。車は無理なので物資の運搬はラバでキャラバン隊をつくらなければなりません。それでも資金や物資をちゃんとテンジン小学校まで届けるためには、私たちが行き、きちんと見届ける必要があります。そのためにテンジン小学校のあるカコット村まで行かなければならないのです。
支援に頼らないで自活できる手助けを!
加えて私たちdidiがしなければならないのは、援助に頼ることなく村人が自活していける方策を探し、提案していくことだと思っています。
カコット村に着いて支援物資を渡したら、何日か滞在する予定です。「村の生活に支援が必須である」という負のスパイラルを打開すべく、産業について校長や村民と調査・相談したいと思っています。これらは人任せにするのではなく、現地に行って実際に目で見て、話して、どのような支援ができるのか、経済的自立の手助けが果たして可能かどうかをつぶさに観察し、この訪問が村の何かを変えるきっかけにできるようにとカコット村での有意義な滞在の計画をしています。
今回、日本からカコット村に行くメンバー
参加者のうち、didiスタッフ以外のカナコ先生と志乃さんの旅費・移動費・滞在費に関しては、このプロジェクトでの支援項目には含まれません(いわゆる「自費参加」です)。
今回ご支援いただく資金の使い道
第1弾・第2弾のご支援で、物資(文房具・学用品・制服・靴・給食の食材・先生方の給料補填分等)に関してはなんとか資金を確保することができました。
今回は、旅費・移動費・滞在費・ラバでの運搬費のご支援をお願いできればと思います。
①旅費・滞在費:100万円(50万円×2人分)
日本⇔ネパール国際線・国内線のチケット代。滞在費含む
②ラバ運搬費:20万円
ラバ20~25頭を引き連れて、標高2500m~3500mの未舗装の道を物資の運搬のために歩きます。
③リターン経費・広報費:10万円
計130万円
実行スケジュール
※大雪や地震などの天候不順・天災、または政情の悪化などがあれば延期します。日程が変わった場合は「活動報告」またはdidiの各種SNSにてお知らせします。
2024年1月~2月 クラウドファンディング実施
2024年2月 日本⇔ネパール便チケット購入など渡航準備
3月~4月 ネパール渡航カコット村訪問
4月上旬 カトマンズより帰国
4月~6月 リターン順次お届け
Q&Aコーナー
Q1. 旅費が高くない?
A1. 旅費の総額が一人当たり50万です。高いとお思いですか?カトマンズ往復のチケットも高騰していますが、それよりも高いのがネパール国内の移動費です。特に国内の飛行機代は二重価格になっていて、外国人は日本の国内線よりも高い飛行機代を強いられます。さらにさらに、ヒマラヤを旅する外国人はもっと高い費用を負担しなければならないのです。世界トップの登山コースとトレッキングフィールドを持つヒマラヤ連山はネパールの大きな観光資源でもあります。世界中からヒマラヤに登山隊や観光客が訪れその特別な冒険を味わいに来ます。シェルパを雇ったり、キャラバンを組んだり、費用は高騰します。
その移動費用分も物資に充てればいいじゃないかといわれそうですが、そうはいかないことは本文でも述べたとおりです。
Q2. そんな辺鄙な土地にスマホでビデオチャットをできる環境が本当にあるの?
A2. 私たちがビシュヌ校長と初めてやりとりしたのはWhatsApp(ワッツアップ、ネパールを始め海外でよく使われるLINEなどのようなアプリ)のビデオ通話でした。スマホがあって通話できる環境があるところだったらそこまで田舎ではないんだろう、と我々も高をくくっていたところがあります……が、よく話を聞いてみるとどうも一筋縄ではいかない壮絶な僻地だということが分かってきました。
電気は、以前支援していたフランスの団体が設置してくれたソーラー発電機でまかなっているとのこと。学校の近くにアンテナ中継地もあるそうで、スマホの電波も入ります。ただ、電波環境はあまり安定していないようで1日のうちに繋がったり途切れたりするようです。パソコンは以前アルピニストが学校に寄付してくれたもの。コンピューター技術を学びたい生徒たちの役に立っています。
私たちが当たり前に享受している生活インフラ(ガス、上下水道、整備された道路など)が整っていないにもかかわらずインターネットが使えるのは不思議ですが、実はネパールの奥地だけではなく他のアジアの国やアフリカなど世界各地でこの状況があります。不思議に思っていたところ、リープフロッグ型発展という言葉を見つけました。既存の社会インフラが整備されていない新興国において、新しいサービス等が先進国が歩んできた技術進展を飛び越えて一気に広まることだそうです。カエル飛びとは言い得て妙ですね。
Q3. 高山病の心配はないの?
A3. 私たちがカコット村に行くと決めたとき「ものすごいアドベンチャーになりそう……」と覚悟しましたが、ビシュヌ校長によれば「そんなに大げさなことじゃないですよ!」とのこと。
ドルパ空港が2500m、カコット村が3280m。それを2~3日間、体を慣らしながら進みます。高山病のおそれがあるのは標高4000m以上の土地へ短時間で登った場合だそうです。あとは天気や気候に注意すれば、ヒマラヤトレッキング観光と変わらないそうです。山道の途中で2泊しますが、これはテントを張った野宿ではなく、ちゃんとした宿屋の予定です。
以前テンジン小学校を支援していた外国の団体のリーダーは、75歳の女性だったそうです。彼女もストックを突きながらカコット村まで登ってきていたそうです。
Q4. ラバって何?
A4. 現地では「カッツァル」と呼ばれているラバ(騾馬)は、オスのロバとメスの馬から生まれる交雑種のことです。ロバと馬の「いいとこどり」の家畜として、古くはメキシコの鉱山で利用されていました(オスの馬とメスのロバだと「ケッテイ」という別の動物になります。ラバより小柄で、遺伝子の関係なのか生まれにくい珍しい生物)。1頭で50~60kgの荷物を運べます。また、病気や害虫に強く、学習能力も高いと言われているそうです。欠点としては、英語の慣用句(stubborn as a mule「ラバのように頑固」)になってしまうほどに頑固だということです。空腹や怪我、手荒く扱うなどで機嫌を損ねてしまうと全く動かなくなってしまいます。
ビシュヌ校長が送ってくれた動画がこちら。ラバたちはこのように荷物を運んでいます。
個人経営や家族経営でラバを育て、御者をつけて貸しているところが多いようです。今回は荷物の総重量だけで見積もっても20頭を超える大キャラバンになると予想されます。キャラバン代はラバ1頭ごとのだいたいの価格は定まっていますが、天候や道路状況、距離によって前後します。
Q5. 自費でやらないんですか?
A5. 第1弾から言われていたことですが、クラウドファンディングをやっていると、なぜ自費で支援をやらないのかと言われることがあります。お恥ずかしい話ですが、didiはそんなに儲かっている企業ではありません。創業20年、御贔屓にしてくださるお客様に恵まれるものの、特に近年はコロナ禍、円安、物価高などのせいで売り上げが落ち込んでいます。
他国の支援をしている場合ではないと言われそうですが、ではテンジン小学校のことは見て見ぬふりをすればいいのでしょうか?少なくとも私たちはそれを選びませんでした。テンジン小学校の子どもたちのために何かしたい。考えた末に導かれた答えがクラウドファンディングでした。プロジェクトオーナー、支援者の方、そして支援を受ける側、三方が得と徳を得る素晴らしいシステムだと思っています。
最後に
このプロジェクトは使命感だけではありません。人生のエポックとして自らも何かを求めてヒマラヤに旅立つのです。聖なる山々が並び人を寄せ付けないヒマラヤという特殊な地は、そういうことを掻き立てるところかもしれません。
ビシュヌ校長が言っていた「読み書きができる子どもが1人でも増えたら、それは自分の人生において貴重な成果」だと私たちも思います。
もちろん支援は単発では終わりません。継続する支援こそがテンジン小学校・カコット村の希望することであり、私たちもそのつもりでおります。
録画してきたたくさんのビデオ・写真・文章などで、続くプロジェクトをかたち作っていきたいと思います、それをコンテンツとして皆様に、わくわくしたり涙したりというような、一緒にヒマラヤを旅している感覚のリポートをお届けできたらと思います。
どうぞご支援よろしくお願いいたします。
最新の活動報告
もっと見る制服用スウェットの完成と、渡航の再延期につきまして
2024/10/01 18:51「天空の小学校支援プロジェクト」を応援いただきまして、誠にありがとうございます。なかなか進捗の報告ができず皆様にはご心配をおかけしております。さて、「天空の小学校のスポンサーになろう!」のリターンをお選びいただいた皆様へご報告です。生徒及び先生方に渡すためのスウェットシャツが完成いたしました!※お名前は個人情報につきモザイク処理をしております。当リターン支援者の皆様には別途モザイク無しの写真をお送りいたします。本来は現地で生徒たちが着用している様子をお送りするリターンですが、渡航前に取り急ぎのお知らせとして、こちらをご紹介いたします。また、スウェット本体の調達にご協力いただきました方にも、この場を借りてお礼申し上げます。渡航のタイミングを今か今かと待っているのですが、報道の通りネパールの首都カトマンズや周辺地域にて水害の影響が大きく出ております。以前の天候不良および土砂崩れから数か月経っておりますが、なかなか天気が安定せず、復旧が間に合わない地域もあるようです。また、ヒマラヤ山間部はそろそろ乾季を経て冬に入り、雪の積もる時期になります。なお、給食費・調理人給料・燃料費、それらの運搬費用は送金を行なっております。スタッフの安全が確保できるタイミングにて物資運搬と現地視察のための渡航を行ないます。ご支援いただいている皆様をお待たせし申し訳ございませんが、また改めて支援に関する告知をさせてくださいませ。 もっと見る
6月お届けリターンについて&卒業生と、彼女の今後
2024/06/18 15:40前回の支援から早2ヶ月。カコット村も暖かい季節になりました。■6月お届けリターンをご支援の皆様へ「カコット村のお守りチャーム」など、6月発送のリターンをまもなくお届けいたします。3月を予定していたヒマラヤ地区への渡航を現在延期しておりますが、カトマンズなどでリターン用パーツを仕入れることができたため、取引先の工場から輸入し、現在製作中でございます。1点ずつ異なった表情のアクセサリーになります。お届けまで今しばらくお待ちください。さて、少し間が空いてしまいましたが、テンジン小学校の様子をお伝えします。3月で卒業した女子生徒が3人います。第1回クラウドファンディングにてありがとうメッセージを送ってくれた3人です。この3人のうち2人は、隣村の中学校に進学することになりました。しかしもう1人、カルマさん(写真左)は以下の理由で進学ができていません。ビシュヌ校長の話によると、カルマさんの両親は離婚しており、母親は再婚、父親はなんと無実の罪で投獄されているそう。現在はカルマさんの70代の祖母が一緒に住んでいます。働き手もなく学費が払えない状況、おばあさんはかわいい孫を遠くの学校まで下宿させて通わせることにあまり乗り気ではありません。でもカルマさんは、友達と一緒に勉学を続けたいと願っています。ビシュヌ校長はカルマさんが金銭的に安心して進学ができるように、ネパール国内の知り合いに向けて呼びかけをしたそうです。それでもまだ十分ではないとのこと。didiからも何かできないか……新しい店舗にてイベントを企画しています。決まり次第またお知らせします。 もっと見る
新年度の様子
2024/05/03 12:54こんにちは、didiです。「ネパール天空の小学校支援プロジェクト」をご支援くださいまして誠にありがとうございます。皆さまはゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか?今回は、新年度に入ったテンジン小学校からの状況をご報告いたします。今年度のテンジン小学校の生徒数は27名。クラウドファンディングを開催したときから卒業した生徒がいるため生徒数が変動しています。このクラウドファンディングでご支援いただいた金額は32名(と先生4名)を想定したものであったため、制服や学用品などを購入する予定額を一部変更いたします。詳しい支援額につきましては、支援実施後にご報告となりますことご了承ください。ビシュヌ校長によると、テンジン小学校のクラス編成は大きく2つに分かれています。小学校の部(1~4年生)と、ECD(Early Child Development)と呼ばれる日本の保育園に相当する部です。写真手前に並んでいる小さな子どもたちがECDの子たちです 今年度の27人の内訳は、1年生が5人、2年生が5人、3年生が4人、4年生が2人、ECDの子どもたち11人です。ECDは近年ビシュヌ校長の念願かなって設立された、テンジン小学校独自のシステムだそうです。2歳~4歳の子どもたちが通っていますが、給食費や教材費は国から補助が出ているわけではないため、運用がうまくいっているとは言えないようです。保育士の代わりとして、ビシュヌ校長の奥さんのドゥルガさんがボランティアで働いています。また、5月に私たちが渡航できなくなった理由も併せてお知らせします。5月の下旬から3週間ほど、小学校の生徒とその家族は薬草を取りに出かけてしまうからです。薬草とは冬虫夏草(現地ではyatragumbaと呼ばれます)のことで、中国などで高値で取引されます。これが現在、村民たちの最大かつほぼ唯一の収入源です。ビシュヌ校長と奥さんは小さな子どもたちのために学校を開けていますが、授業はほとんどできなくなってしまいます。近年では気候変動の影響で冬虫夏草の収穫が少ない年があったり、競争が激化し危険な目に遭ってまで採取しようとする人も増えているそうです。その結果命を落とす人もいるとのこと。村に安定した収入があればこういったことは防げるのかもしれません。私たちにできることから支援していきたいです。さて、実際私たちが支援に向かうのはいつなのか?と疑問に思っていらっしゃる方も多いかと思われます。ご支援いただいている皆様にはご不安な思いをさせまして申し訳ありません。6月ごろから現地は雨季に入ります。雨の続く季節は足元がぬかるみ登山に向かないだけでなく、視界不良により飛行機が飛ばない日が頻発します。せっかくネパールに渡ったのに学校までたどり着けないのは避けたいところです。というわけで、天候が安定する9月を渡航のタイミングとさせていただきます。※ヒマラヤ渡航後にお渡し予定のリターン品につきましては、リターン到着予定が大幅に遅れますことをお詫び申し上げます。リターンお渡し予定時期が決定次第、追ってご連絡差し上げます。 もっと見る
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