2024/06/29 23:59

本日は惣津(そうづ)というところに伝わる鯨の話です。

昔は五島近海に鯨がたくさんいて、岐宿浦や河原浦にもしょっちゅう外海から入ってきたようです。

くじ粗が来たときは村中の人が海岸に集まり、森内、船頭などそれぞれたくさんの役割に分かれて仕事をしました。

鯨は捨てるところがなく、骨まで利用できるので、五島の人々は「クジラ一頭で七尾七浦うるおう」とまで言っていました。

だから鯨が浦に入ってくることは海の神様が恵みを与えてくれたと考えられていました。

川原の人々は鯨が入ったら漁に出かけたり、訓練を積んでいたことで捕獲も上手でしたが、三年周りに入ってくる大鯨だけはどうしても捕獲できないのでした。

大鯨は強く、森を打ち込んでも平気で泳ぎまわるので、村人は今度は浅瀬に追い込むことにしました。

大鯨は翌年の春、川原浦に入ってきました。人々は手はず通り配置について浅瀬に追い込み、十数隻の船で追い込んでいきました。

ところが、大鯨は急に西へ向きを変え、勢いよく泳いで陸地に近づくと、ぱっと飛び上って楽々と西外海に逃げて行きました。

その後も大鯨は同じ方法で逃げ続けたといいます。

それから人々は同地の最も狭くて低いところを「登尾ノ首」(とやんくつ)高いところをくいらごえと呼ぶようになったと伝えられています。