2024/06/27 23:54
本日は、福江島の富江町山崎に伝わる勘次(かんじ)という男が築いたといわれる石造りの城の話を紹介します。
勘次は名のある大工で30歳のころお屋敷富江大浜間の通い舟を新造中、ある日突然行方をくらませたのでみなで捜索したが見つからず、他領にまで手を伸ばして探したところ、玉之浦村小川の海水に使っているところを発見された。
勘次が城は本人がカッパとともに築城したと語っていたといいます。勘次は連れて帰ってからもその城のそばに住み続けたようです。勘次が暮らしていた住まいは大正の初めごろまでは原型を残していたのだといいます。
城の構造はとても狂人が一人で作ったとも思えず、一説には倭寇の拠点の跡ではないかともいわれています。
また、勘次を直接見たという方の話によると、村々を廻って食べ物をもらい、米をくれるところには水の漏れない一升桝を渡し、芋をくれるところには水の漏れる一升桝を渡したといいます。