2024/04/24 08:34

「ちゃんちき堂のてつ(以下てつ)」

このクラウドファンドのコンサルを請け負ったちゃんちき堂のてつと言いマス。

さて、60日間のクラウドファンドも遂にあと数日で終わりを迎えようとしています。

https://camp-fire.jp/projects/view/734702#menu

最初のゴール=引っ越し費用の100万を突破して、ページビューも8,000を突破して、多くの方が支援してくれて、注目してくれている今。

なんでレインボールームが立ち上がったのかって話を注目してくれているみなさんにみてもらうのはどうだろうか?


そう思って、この全3回の企画。

題して「レインボールームが立ち上がるまで」を立ち上げました。


もちろん、語り手はレインボールーム代表の「松原陽子(以下ようこ)さん」デス。

今日は、長くなりそうですが、よろしくお願いします。


「ようこ」

はい、よろしくお願いします。

今日は、過去のメモをもとにお話しますね。

やっぱり。今は支援者なので、今の私からしたら過去の自分に教えてあげたいこと、わかっていることがたくさんあります。

ですが、当時は一人の親としての私が、私なりに出来る最大限の理解、対応で、それ以上はなかったと言う事で、そのままの当時の記録をお話したいと思います。


「てつ」

はい。

そうですね。

今は専門家としてのスキルもあってのようこさんが、今のようこさんにたどり着く前の物語が大切だと思います。

早速ですが、ようこさんの娘さんの羽美(うみ)ちゃんがきっかけになったって聞いているので、そのことからお話聞いてもいいですか?


「ようこ」

はい、わかりました。

娘の羽美は保育園時代から、非常に不安が強い子でした。

見通しがつかない事が不安なため、初めての場所、人、行事の全てが不安でした。だから当然、環境の変化にも弱い。

保育園児だと言うのに、社会的規律を守らないといけないという気持ちが強く、先生達は娘に怒ったりしないのに、娘自身が

「出来なかったらどうしよう、叱られたらどうしよう」

と不安になっていました。

保育園では主任先生から

「運動会の練習中、肩で息をしていると思います。なんだろうな?私もわからないけど、カウンセリングなのかな?必要かも知れないです」

と言われ、すぐに受診をし、発達障害(現在は神経発達症)と言う事がわかりました。


「てつ」

それはびっくりというか、ようこさん自身も不安になりますよね。


「ようこ」

いえ、実は逆でした。

私の性格なのかしら?

この時、私は嬉しいと言う気持ちが強かったです。

発達障害なら発達障害について学べば娘の不安を何とか出来ると思ったので、発達障害の事を勉強するようになりました。


「見通しの持てる園生活が出来ると良い」と言う事がわかり、園はすぐに対応してくれて、お散歩のコースも事前にどの道を通るのか説明してくれたり、娘が不安な時には、赤ちゃんクラスに入れてくれ、娘に赤ちゃんのお世話をするという役割を与えてくれました。

保育園のこの対応には感謝でしたが、娘自身、みんなと同じ事が出来ない自分を責めていた様に感じます。

「私はやらなくて良いから、参加しなくていいから、ラッキー」

なんて事は全く思わない子だったんです。


そんな気持ちのまま、小学校に上がり、1.2.3年の先生も非常に優しく、人間的にも人格者だなぁと言う様な先生に当たりました。

それでも娘は、周りの子が叱られている事全てを自分が叱られているかの様に感じる。(この様に感じてしまう人は、神経発達症児だけに限らず繊細な子でもいますよね)

つまり娘からしたら、一日中叱られている感覚なわけです。


「てつ」

そういう特性っていうことですよね。それは想像しているだけで辛いことだナ。。。


「ようこ」

そうだったんです。

1年生初日に、先生が

「手を膝に置いてください」

と言った時に、娘の隣の子が、手を膝に置かなかったのを見て、娘がその子の手をとり、その子の膝に乗せたと言う事もありました。ちゃんとしないと叱られる。やらなくちゃいけない決まりなんだと娘は焦るんです。


他にも、知的理解力はあるはずなのに、

「先生が言ってることが、わからない」

と毎日泣きました。


話を聞いてみると、例えば

「宿題を前に出してください」

と言われたら、

「前って?先生の机の上?教壇の上?ノートは開いて出すの?閉じたまま?わからないと怒られる」

と思っていたそうです。

他にも娘の特性でもある、板書の苦手さ。見た物を写す力の弱さ。板書が苦手だと、ノートに書き写すペースが遅いので焦る。自分だけがまだ終わらない、どうしようと思う。

これが1時間目から5時間目6時間目と続きます。

帰宅するとクタクタですが、宿題がある。


漢字が苦手な娘。

逆さ文字や鏡文字を書いてしまう。(親の私からしたら、その文字さえ可愛くてたまらないのですが)娘自身がちゃんと書けないと叱られると思い、焦り、2時間もかけて漢字ドリルをしていました。

宿題が終わったあとは、もう明日の学校の不安によるパニックが始まります。

娘の不安は、私や学校の先生含め、おそらく誰にも想像出来ない細かい部分で起きていました。


教室移動の際、先生に

「廊下に並んでください」

と言われれば、後で

「背の順ね」

と言われる前に、一瞬にして

「並ぶってどう言う風に?背の順?名前順?」

て、焦る。

移動中にお喋りしながら歩いている子がいれば喋っていたら叱られるよと焦る。

発表会の練習でステージに上がる際は、自分はステージに上がったらどこに立てば良いの?違う場所に立ったら叱られると、先生の指示がある前に考えて不安でしかたがない。


「見通しを持たせてあげる」の「見通し」が、ここまでのものか…と、帰宅してから、話を聞いてやっとわかる毎日。わかった事は担任に連絡し、次回からは事前に教えてもらうわけですが、日々、想像もつかない不安が沢山あり、連絡が追いつかない状態。


この頃自宅では毎晩

「学校に行きたくない」

と夜、2,3時間程泣く、朝起きたら泣く、の日々。私は仕事をしていたけれど、職場もそんな家庭の状況に理解があったので娘に、

「休んで良いんだよ」

と声かけしていましたが、

「休めるわけないじゃん」

と、泣き喚き、登校時刻になると、スッと泣き止んで学校にいきました。


この、スッと泣き止む行動は、自分の心を殺している瞬間だったんだと思います。


2年生から通級(※1)に通いましたが、週に1回違う学校に行く事も不安で、パニックを起こし個別支援対応をして頂きました。

変わらず、私の

「休んで良いんだよ」

の言葉で休む事はできず、私と保健室登校をしたり、娘が参加出来る授業のみ、選んで行く日が増えてきました。

2年生の終わり頃から、夜

「世界が死ねば良い」

「学校が燃えてなくなれば良い」

「ママ。自分が殻の中から出られない感じがする」

と言い出しました。


一日中、怒り、イライラ。

私は母から

「鬱病だと怒りの感情が出る人が多いからね」

と昔教えてもらった事があり、え、グッタリ静か…だけじゃないんだ!とビックリした記憶があり、鬱が頭をよぎりました。

友達と放課後遊ぶ事も減ってきました。自宅横の袋小路で姉も含めてみんなで遊ぶ事が好きだったのに。。。

学校から帰宅すると、ソファーに横になり、何もしない。


鬱…かも知れない。

そう思ったのがこの時期です。


「てつ」

一回目はここまでとなりますが、体験談だけに本当に壮絶デスネ。。。

そして、まだまだこれからの話となりますが、羽美ちゃんみたいなお子さんをもった親御さん、そして関わる学校などの教育機関が「出てしまった症状」を理解しながら対処していくことの、そして学習していくことの限界も感じます。

どうしても後追いになってしまうというか。。。

この時点で、こういった子ども達の特性をよく理解し配慮した環境を有した場所があったら、当然ここまでの状態にはなっていないんでしょうし、この経験がようこさんの中でレインボールームに収れんしていくのは、とても理解できます。

同時に、ここまでの対応を家庭内でできる方もなかなかいなかったでしょうし、この状況下で、次のステップに行く気力があるようこさんは、ちょっとすごいネ。


※1.「通級」とは、日本の義務教育における特別支援教育の制度の一つで、通常の学級で学習しながら、通常の教育課程に加え、又はその一部に替えて個別的な特別支援教育を受けることの出来る制度のこと。