アンニョンハシムニカ!百美+(ヒャクビ)です。
今日は船橋エリアのFWの活動報告3回目をお届けいたします。
百美+ではこれまで2回のフィールドワーク(FW)を実施してきました。場所は船橋と、習志野・八千代の2エリアです。
FWの一番の意義は、実際の虐殺が行われた(あるいは関連する)現場を自分たちの目で見て足で歩いてみることで、文字で読んできた歴史的事実を実体験として体感することだと思います。
百美+ではさらに、各FWごとのアートの要素を加えたFWを展開しました。
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船橋エリアFW
◎巡ったスポット
天沼弁天池公園に集合→徒歩で①九日市交差点→車で②行田公園(船橋無線跡地 )→③北方交差点→④馬込霊園→⑤途中で東武アーバンライン塚田駅付近を通過して解散→参加希望者で⑥船橋商工会議所前
◎各スポット
①九日市交差点・・・朝鮮人殺害現場
②行田公園(船橋無線跡地 )・・・流言を発信した無線所の石碑およびモニュメント
③北方交差点・・・北総線の労働に従事していた鎌ヶ谷粟野方面からの朝鮮人が送り届け中に殺害された現場
④馬込霊園・・・朝鮮人慰霊碑・法曹界無縁塔・移転碑
⑤東武アーバンライン塚田駅付近・・・旧北総鉄道建設のために多くの朝鮮人たちが従事していた。飯場ーがあったようだが現在の様子からは伺えない。
⑥船橋商工会議所・・・朝鮮人殺害現場
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3、船場馬込霊園休息所と群馬の森への抗議について
・FWで各スポットを巡った後、馬込霊園の休息所で一息つきました。そしてその日の巡った感想を、BOXの中身と共に各自が話す時間を過ごしました。
いろんな角度からの感想が出ましたが、ほとんどの参加者が感じたこととしては「実際に現場を歩く体験の貴重さ」と各スポットには「今では虐殺の歴史を示す痕跡が何もない」ということだったと思います。
ひとまず休憩して軽食食べました
感想を話す参加者
BOXの中身例
拾ったものの話を通じて感想を話す参加者
こんなものを入れた参加者も!
・各スポットはあまりに日常の風景で、その土地から歴史の記憶を辿るためのものを探すのも簡単ではありませんでした。BOXというプロセスがあることで、よりその場所に対して意識的に向き合うことができたのではないかと思います。
・中身にはその人が感じたことを象徴するものが選ばれており、他の人がそれをBOXに入れた理由を聴くのもいい交流だったと思います。(何も入れなかったお話も象徴的でした)
このBOXは8月の展示で登場します。どうぞお楽しみに。
東武アーバンパークラインの風景
・東武アーバンパークライン
参加者のうち希望者は東武アーバンパークライン線路沿いを通り船橋商工会議所前に行きました。
東武アーバンパークラインは、建設に朝鮮人労働者たちが多く働かされた建設物です。1930年に全線が開通しています。Wikipediaを見ると鉄道の歴史が詳細にありますが、朝鮮人労働者たちの話は記載がありません。公式HPにも見つけられませんでした。
船橋は千葉県の中でも最も関東大震災時に虐殺された朝鮮人が多い地域なのですが、その理由の一つに、鉄道建設のための朝鮮人飯場が多くあったことが挙げられます。
このことだけでも、日本の植民地支配の歴史と関東大震災時の朝鮮人虐殺とが無関係ではないことは明らかですが、その事実を簡単に知ることは難しい現状を痛感しました。
このことからも百美+としては、今の私たちの生活地にかつてあった虐殺殺と支配の歴史を掘り起こし、作品として発信する意義を明快にしていきたいと思います。
~おまけの話~群馬の森朝鮮人追悼碑撤去のこと
船橋のFWのための下見をしましたが、その時期はちょうど群馬県で朝鮮人の歴史の記憶を巡る問題が起きていました。
群馬の森に設置されていた、戦時中に動員された朝鮮人労働者の追悼を群馬県が撤去することを決定したというニュースでした。
多くの抗議が山本知事宛に届いたかと思いますが、百美+も抗議文などを送付しました。
碑の撤去は歴史風化の一歩であり、到底認められるものではありません。引き続き連帯の気持ちを持っていきたいと思います。
百美+から送付した抗議文
抗議の発信のための一例