僕が野中社長のことを知ったのは2017年。「ピンハネ屋と呼ばれて」というブログを読んだのがきっかけでした。
そのブログの最初のタイトルは「僕が派遣会社を設立した理由」です。
野中社長はもともと派遣会社に勤めていたのですが、業界のピンハネの実態に嫌気がさし、会社を辞めてリツアンを起業します。
生活苦で会社を辞めていくエンジニア社員のこと、不器用だったお父さんのこと、なぜリツアンが給料にこだわるのかということ。
ブログのタイトルに「ピンハネ屋」という屈辱的な蔑称を掲げる、野中社長の静かな覚悟と決意に心を打たれました。
いつか会いたいと思いながらもそこから2年が経ち、実際に野中社長にお会いしたのは2019年です。
飲み会の席で遠くからお見かけしただけでしたが、これから飲み会が始まるという段階ですでにベロベロでした。
周囲の人に支えられながらタクシーで帰る野中社長。その後何度か野中社長と飲みに行かせていただく機会がありましたが、いつもベロベロでちゃんとした話をした記憶がありません(笑)
でも周りはいつも笑いに包まれていましたし、その場からいつも新しい何かが立ち上がっていました。
ポートカケガワの成り立ちのきっかけもまさに飲み会の席だったことは、クラファン本文で書いた通りです。
ここで終わってしまうとただの気の良い酔っ払い社長になってしまうので、1つエピソードを紹介させてください。
先日リツアンの社員・Kさんと立ち話をしていたときのことです。
Kさんはもともと飲食店をされていたのですが、コロナ禍で経営が苦しくなりお店を廃業。そんな経緯で今リツアンで働いているとのことでした。
ご存知の通り、コロナ禍は飲み屋など、夜の飲食店に大きなダメージを与えました。
Kさんのお店も多分に漏れず、その日もお店は閑古鳥が鳴いてる状態だったとのこと。
そんな中、酔っ払った野中社長がお店にふらりとやってきたそうです。
野中社長はビールを一杯頼むと「大変だけどがんばれよ」と、3万円を置いてそのまま店を出ていきました。
千鳥足になりながら歩く野中社長の背中を見ながら、Kさんは「いつか必ず野中社長に恩返しをしたい」そう強く思ったそうです。
おそらくそのときだけでなく、Kさんだけでなく、野中社長は酔っ払いながら苦しいお店を応援して飲み歩いていたのでしょう。
とにかく生き様がカッコいい。
いつも一番弱い人の味方で、見えないところでそっと手を差し伸べてくれる。
それが野中社長であり、リツアンの基本スタンスです。
リツアンが給料にこだわる理由、横さんちやオズマンなど、さまざまな人たちの想いに応え続ける理由は常に一貫しています。
そしてそれはおそらく、かつて会社をやむなく辞めていったエンジニアさん、不器用だったお父さん、そして父親を間近で見ていた子どもだった頃の自分自身を救うためなのだと思います。
ポートカケガワもアプローチは違うかもしれませんが、リツアンが目指す未来と同じ未来を目指します。
ポートカケガワは野中社長ならびにリツアンさん無しには存在し得ませんでした。
頂いた恩を直接お返しすることはもちろんですが、その恩を次の世代へおくる。
そのあたたかな円環の軌道が多くの子どもたちを救い、その子どもたちはさらに次の子どもたちに手を差し伸べる、そんな未来を思い描いています。
野中社長、本当にありがとうございました。
大変お待たせしましたがここから恩返しターンに入っていきますので、楽しみにしていてください!
以下、今回野中社長より頂いた応援メッセージとなります。
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時間を忘れ何かに夢中になっている人をみると、こちらもわくわくします。仕事に熱狂するのも、趣味に没頭するのも、遊びを極めるのも素敵です。夢中になっている人にはどこか魅力がある。ただ、いまは選択肢が多すぎて、夢中になる何かを選ぶこと自体が難しい。あれこれと考えてばかりで時間だけが過ぎちゃう。でも、何かにのめり込むって、意外にシンプルで、それは目を輝かせた子どもたちとの交流の中にヒントがある気がします。ポートカケガワでハマ君が目指しているのは、大人が子どもたちに一方的に知識や経験を教える場ではなく、大人も子どもから学べる双方向の場所です。そして、世代間で交流を活性化することで最終的には街全体を活性化することを目指しているんだとおもいます。僕も他の皆さんと同じように応援者のひとりとして、また利用者としても、ポートカケガワの成長を楽しみにしています。
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