プロジェクトを公開し、皆様からの沢山のご支援とあたたかいお言葉を頂き、溢れんばかりの感謝がエネルギーになっています。本当にありがとうございます。
今日はご支援者から頂いたアドバイスが嬉しくて「活動報告」とともにご報告させて頂きます。
「メイン画面」に私達の心(思い・願い)を載せました!
発災後から時間に追われるように今を迎えています。毎日発生しする未曾有の”困難”。それを乗越えるために試行錯誤の連続。院内では生活可能な1階クリニック部分は全て(検査室・オペ室・外来ロビー他)居室に整えました。(画像は震災前の外来ロビーと現在の同場所です。)
1月1日(元旦)16時10分 地震「特別警報」 アラームが鳴り1回目の地震が発生し、数分後本震(志賀町震度7)が発生しました。1回目の地震発生時、患者様をお守りするためにその場所で業務を行っていたナースはナースセンターから出るのと同時に本震発生でした。トップ画面の画像は発災直前まで業務を行っていたナースセンターです。見るも無残に 落ちているのは壁上部に固定されていた棚です。そしてナースコールの配電盤。もし、本震前の地震がなかったらこの棚の下で業務していた当院の大切な職員に直撃していたかもしれません。本震は突き上げるような感覚と縦にも横にも上下にも揺れ、頭上からは得体のしれないものが降り落ち、すべての棚、大きな機器が倒れ、表現しきれない音と悲鳴。誤作動で稼働したスプリンクラーは 容赦なくスタッフや、患者様の上に冷たい水をまき散らし、あたりは洪水状態と化しました。何分経過したでしょう。とても長い時間だったように感じました。その後鳴り響く津波警報。院長の指揮でスタッフは無我夢中で患者様全員の避難誘導開始。エレベーターは停止し、使用できません。独歩で避難できる方は2~3名です。担架では追い付かず、シーツ、バスタオルを簡易担架として使用。車椅子ごと両サイドで持ち上げ移動。命がけでの誘導でした。発災日は元旦でしたので、スタッフも少人数でした。そんな中、お休みだった富来地区の職員は誰に依頼されたわけでもなく、自らの意思で自分の家族を連れて駆けつけ、避難誘導に加勢してくれました。その甲斐があり、患者様そして、スタッフ全員が無事怪我無く避難することが出来ました。
今だ続く余震で損壊状態が悪化し、この地域では住み慣れた家で生活を続ける事が困難だと判断せざる負えない状況になっています。
それでも
「能登が好き!」
「離れたくない!」
「ここに居たい!」
それがこの地域住民の願いでもあります。当院でお預かりしている方、そのご家族も この地で日本海の潮の香と四季折々の風情を浴びながら ここでの生活を希望されています。私達はその思いに寄添い、今は満足な事はできないかもしれませんが、ご家族様に代わり、それぞれの専門分野でサポートをさせて頂きながら大切な命をお守りできたらと 医療や、介護が必要な方に 医療や介護が提供できる避難場所として、お一人でも多くご利用頂けるよう試行錯誤で居室整備をしています。
このプロジェクトではそれぞれの思いを目標に、ご入所者様(患者様)、ご家族様、スタッフ、ご支援いただいている皆様の心を活力とし、橋を架け能登の未来に繋げたいと願います。
是非皆さまからご意見、アドバイス等頂けましたら幸いです。
※メイン画面を修正した画像は審査中のためもうしばらくお待ちください。