ラストスパート!皆様 本日までご支援頂きましてありがとうございました。あっという間に最終日を迎えました。発災から5か月が過ぎようとしています。けれどこちらは 何も変わってはいません。屋根の上に掛けられたブルーシートの数は減ることなく、穴のあいた道路の穴は深くなり、未だに続く余震でさらに損傷悪化・・・当院職員の家では 未だに断水が続いています。5月31日・・・前の見えない状況が 152日それでも日は昇り、日は沈みます。目標はあってもなかなか進めない現実ですが復興・・・未來にむけて今できる事に精一杯向き合おうと思います。今回の震災では最悪な不運と それ以上に最高の幸運を得る事が出来ました。幸運・・・それは発災後真っ先に駆けつけて下さった支援者の方々との出会いです。自動で開かない自動ドアを開け、「大丈夫?」「手伝うよ!」戸惑っている私達に「これ使っていいの?」(ドライシャンプーです。)「はい」「じゃあ 私達全員の頭あらうから 任せて」熊本JMATの皆さまのこのやり取りが 支援を頂くきっかけとなりました。くまもとJMATの皆さまには ご多忙にもかかわらず 現在も時間を割いてこちらにご訪問下さっています。心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。その後からは 日を開けず沢山の皆さまにご支援頂きました。人と人とのつながり人は支えられて大きな力になる事を実感致しました。そして当院スタッフです。1月1日 発災 津波警報 大きな連続的に発生する余震思いは1つご利用者様の「命」12名のスタッフは命がけで約70名の大切な「命」使用できなくなったエレベーター 散乱する瓦礫を乗越え人の力だけで 全員無傷でを守りきりました。 それから約2日半職員が駆けつけるまで12名のスタッフは 殆ど飲食、休憩をとらず利用者様に3食、2回のおやつ、水分摂取、排泄介助を提供し「心」のサポートを行いながらお守りする事に徹しました。 「みんな大丈夫?」「患者様は大丈夫 みんな無事!」「みんなは?」「大丈夫」「食べる物はある? 水は足りてる?」「患者様の分は今のところ大丈夫」「みんなは?」「私らがたべたら いつみんなが(他の職員)いつ来れるか分からんのに 備蓄無くなったら困るやろ」「何も食べてないの?」「わたしら ダイエットせんならんくらいやから なーん問題ない」と笑うのです。(当時のやり取りです。)5か月が過ぎようとしている今日までまだ出勤できていない人、お家の都合で移住しなければならない人 子育ての関係で通勤時間に支障が出ての離職はありましたが、それ以外では誰1人として投げ出す人、手を挙げる人はいないのです。色々な経験 体験の中から 「大切」を見つける事が出来ました。この クラウドファンディング公開は本日で終了となりますが「向クリニック」そして「のと」の復興へのプロジェクトはまだスタートをきれずにいます。「未来に繋げる」為これからの1分1秒が重要だと心し、このすばらしいスタッフと ご支援いただいております皆さまと 一緒に「達成」出来たらと願います。
あれから4ヵ月・・・命と向き合い 自分達にできる事あの日毎年恒例の大晦日 カウントダウンに新しく迎える1年に期待ゴーン ゴーン毎年恒例の除夜の鐘108つ新しい年が明け TVでは毎年恒例の新春リレー中継毎年恒例の初日の出この時はまだ 誰も知らなかった。大きな大きな地震が来ることを・・・1月1日 午後4時10分きっと ずっと 忘れる事はないでしょう。 今日は あの日と同じ お天気が良くて ポカポカあたたかいです。違うのは あの日の午後4時9分まで普通にあった家が瓦礫に変わってしまったこと。 ちゃんと立っていた家が傾いてしまっていること。発災後から変わらない壊れた町 4ヵ月が経っても何も変わらない知っていますか?未だ断水が続いている家がある事知っていますか?家の前に土砂崩れ警報機を付けられたまま 何も講じてはもらえず不安な中で生活している人がいる事知っていますか?傾いた家を修繕できずに そのまま生活を続けている人がたくさんいる事それでも 我が家が 一番なんです。当院のご利用者様も同じです。「この町に居たい」私達にできる事お一人でも多くの方の「ここに居たい」に応えること その為にお部屋を作ることそして 少しでも 気持ちよくお過ごし頂けるよう工夫すること修理しているのは 業者さんではありません。当院事務長とスタッフです。もちろん専門分野ではありません。使えそうなお部屋の再生です。おやすみになるとき 目に映るのは天井です。スプリンクラーの誤作動で天井は歪み おおきなシミが広がっています。「何とかしたい」「任せとけ!」みんなの思いが一つになり 悠悠は今を歩んでいます。「未来の架け橋」のとの未来に希望を描き 実現に向けて スタッフ一同試行錯誤を繰り返します。プロジェクトも残り30日を切ってしまいました。目標金額達成のためプロジェクトのシェア等、支援者様のさらなるご協力をしていただけますと幸いです。こちらのリンクをシェアいただければと思います。https://camp-fire.jp/projects/view/752000
感謝!北川啓介教授がインスタントハウスを届けてくださいました!4月19日(金) 名古屋工学専攻(社会工学領域)/高度防災工学研究センターの北川啓介教授により当院にインスタントハウスを届けてくださいました。発災から4か月も半ばを過ぎようとしています。けれど志賀町は何も変わってはいません。いまだに続いている余震で 仮修繕しても道路はすぐに穴が開き、周りの家々は傾きが増しています。倒壊してしまった建物もそのままです。 高齢化している町での課題は 家から荷物を運び出したくても力がありません。壊れた屋根の修理も修理会社が少ないため順番を待たなければなりません。修繕も同じです。けれどその順番は1年後かもしれないというのが現状です。仮設住宅も順番待ちです。住処が決まらず当院で生活しているスタッフ、県外から期間は限定されますが力を貸して下さる方のために 当院も仮設住宅が作れないかと相談したのですが費用が高額で断念いたしました。色々な方にご相談致しましたところ北川啓介教授 をご紹介頂きました。ダメもとでメッセージをお送りしたのですがすぐにご返信頂き、ご尽力下さいましてのお届けです。インスタントハウス」は、教授が開発し、屋外用のものは2月のトルコ・シリア地震の被災地にも設置されたそうです。送風機で気球のように膜を膨らませ、続いて内側から断熱材を定着して、たった3人であっという間に建ててくださいました。廉価性、簡便性、速度性、技術性、汎用性に優れ、住まいとしての断熱性や遮音性にも長け、寒暑、風雨、積雪、地震、強風などの外的要因の影響さえも受けにくく、エネルギー消費を最大限まで抑えられる住まい方法で生活できるそうです。 すごいです!北川啓介教授 本当にありがとうございます。お忙しい中輪島で1棟建て、駆けつけてくださいました。到着し、休む間もなく作業に入って下さったのです。直径5mだそうです。空気がどんどん入っていきました。完成!本当にかまくらみたいです!夏は冷風機1台で涼しくなり、冬も電気ストーブで暖かくすごせるなんて ホントに画期的すぎます!能登の冬は厳しく 最近では夏も灼熱地獄現在なぜか電気のブレーカーがすぐに落ちてしまう当院にとってはまさに オアシス!本当に 本当に 本当に 心の底から 感謝申し上げます! ありがとうございました。呟いてもいいですか志賀町は震度7を計測しましたが ニュースになることも少ない「家屋の倒壊」が主だという状況では 県や、国の関心度も低くなるのでしょうか。「仮設住宅」への入居も順番を待たなければなりません。壊れた家を修理するにもかかる費用は高額です。仮設を待てず町外で住処を求めこの町を出ていく方もチラホラ・・・ ここで生活するにも新地で生活を始めるのにも費用が掛かります。国が提示している被災者支援は半壊以上が申請できるものです。審査とは持ち家主立ち合いが不用で外側から目視(1回目)での調査です。終了後「調査済み」と記載された1枚の紙がポストに入っています。2~3週間後調査の結果が届きます。これで何が分かりますか? 判定結果に不服がある場合は2回目の調査を希望できます。2回目は家の中 判定基準は家の壁にできた亀裂の具合だそうです。亀裂は少なくても家が傾いている場合は?・・・答えは 傾きの角度(30度以上)かどうかがポイント。センチメートルで表すと 6センチ以下だと点数としては低いのだそうです。 明らかに傾いていてドアも閉まらず 歩いていても足を取られ、 小さな子が走るとバランスを崩して壁にぶつかるくらいでも・・・調査の方も「気持ち悪くなりませんか?」と質問するくらい体感で現れていても 判定材料では微々たるものだそうです。この傾きを修繕するには1千万~1千5百万だそうです。それでも半壊にもならないのです。修繕費に対する補助はありません。2回目の審査請求ができる人はいいのです。高齢の方にそのような請求ができますか? また、全壊の方だけではなく 全被災者を対象に修繕費の領収での補助があれば 修繕を考えている方も「修繕」しやすく なるのではないかと思います。未来の町づくり 大きな被害を少しでも軽減でき、災害に強い 町を目指すには この大震災を受けた建物でそのまま生活を続けるというのは「安全」な未来に繋がるのでしょうか?年齢を重ねる度に瞬発力も低下します。今回は「家屋の倒壊」 が主な被害で人的被害は少なく済みましたが この準半壊 一部損壊と診断された家が多い中 今回同様の結果で終われると思いますか?当院でも 現在震度1または、2クラスの地震でもかなり揺れを感じます。そして院内から空が見える部分の幅が広がってきています。このプロジェクトで目標に定めている「移転・建替え」にむけ、専門職の方に内部を目視で調査して頂くと、「ここは危険ですね 離れた部分に段差が出てきています。次に少し大きな地震がきたら天井が落ちてくるかもしれないので注意してください」と心配して下しました。そこは、雨が降ると雨漏りし、3つ設置してあるバケツを眺め 「昭和や」と笑っていましたが その言葉を聞き 笑っている場合ではないと感じています。当院は亀裂だけではなく沢山ありる空間からは 院内から空が見え ますし、フラットだった廊下に段差が出来ています(判定は「準半壊」です。) 要項:「耐震を含まない修繕」に対する補助それで「命をお預かりする施設や病院」が「安全」に「安心」を提供できるのでしょうか?この震災を経験したからこそ言える事は、揺れが発生している状態では身動きできない。スタッフも人間です。今回の地震発生時 縦にも横にも上下にも揺れ、しかも揺れている時間も長かったのですが どこかに捕まっているのが精いっぱい。壁や天井からは大きなものや破片が降っくる 平常時では動け畝ないくらいの大きなものが部屋の真ん中まで移動する 棚からも 棚そのものも落ちてくる 廊下が離れ 壁が割れ 大きな音とスプリンクラーから降ってくる水揺れが終さまって初めて患者様のそばへ行くことができたのです。今回は本当に運がよく 患者様もスタッフも人的被害はありませんでした。では次に大きな地震がきても同じように被害がないと言えますか。既にこの激震を受けているのです。人間も事故で損傷した部分や、過去に怪我をした部分が年齢の経過と共に過去の痛みが現れる 再発するといわれるのです。老朽化した建物で耐震もされていない状況で 今回と同じ結果を得られるのでしょうか? 私達はここで働くスタッフとして 安全に患者様の命をお預かりし、スタッフが働く環境が安全にであることが必要なのです。何方が考えても「移転建替え」より「耐震を含まない修繕」の方が費用は掛かりません。ですが世の中が高齢化し、介護施設は必要であるが故 「安全であることに拘る必要性」は大きいのではないでしょうか。未来への架け橋プロジェクト:地域活性化と施設再建を目指す このプロジェクトの折り返し地点となりました。能登は復興の1歩には程遠く 先が見えない現実と日々奮闘しています。皆様のさらなるあたたかいご支援を 心よりお願い申し上げます。目標金額達成のためプロジェクトのシェア等、支援者様のさらなるご協力をしていただけますと幸いです。
春! 向クリニックの駐車場で春を見つけました。小さな枝に かわいいピンクのお花 これは桜でしょうか?1月1日 新春 今日のようにお天気が良く、例年にないポカポカと あたたかく おひさまに見下ろされながら 素敵な1年の始まりに胸を弾ませていました。午後4時10分を迎えるまでは・・・あれから3か月が経過し、気がつけば4月、季節は春に~ いまもあの日と変わっていません。倒壊した家も 倒れた灯篭も 見渡す限りのブルーシートも・・・。発災から4か月目に入り、少しずつ生活が戻ってきている人、いまだに水の使用が出来ずトイレは爲水を使用している人、倒壊した家の片付けや、壊れた屋根の修理も手付かずになっている人、それぞれの生活が震災前と同様になる日が 再び訪れるのでしょうか? (当院もチラーの破損で1階の1部、2階全域はエアコンが使用できません。建物は古く、備え付けられた機器もまた古たため 壊れても修理に必要な部品が手に入り難いのです。) 同じ被災者だからこそ、その不安、悩み、支援してほしい事に共感できると信じ、当院が「できる事」を模索しています。富来地域だけではなく能登地域全域で医療と介護の提供 を必要とされる方にご利用いただけるようにする事だと思いました。 入所では手続きに時間が掛かってしまいます。そこで「避難」という形で受入れられれば 準備が整い次第お預かりできます。 これから少しずつ家の片付けも始めたくても、在宅でご家族様の介護をされている方にとって、安心して作業を行うには預けられるところが必要です。 また、総合病院で治療を終えた方の受入れ先がないと、本来病院での治療が必要な方に支障がでてくるため、当院のように医療の提供ができる介護医療院で引継げればその課題は解決できると考えました。当院は介護医療院です。医療も提供でき介護も行える施設として 入所という形にこだわらず、お一人でも多くの患者様、要介護者をお預かりしていこうと話し合いました。 それはみんな「能登がすき」だから・・・どんなに悲惨な状況でも どんなにつらい毎日が続いてもどんなに不安でも季節は春へと移り変わります。時は流れていくのですね。誰かが何かをしてくれるのを待つのではなく何もしてくれないと嘆く前に必要としている誰かのために 自分達ができる事をする<当院の理念>「医療・看護・介護を通じ、利用者の思いに寄り添ったゆとりある生活を支援します」いつかこの理念にある「ゆとりある生活 」が1日も早く皆さんに訪れますように・・・今 私達にできる事に全力で向き合い、患者様が少しでも居心地よく生活できるようにこれからも一生懸命頑張ります。目標は「安全・安心」を提供できる施設にする事 患者様もスタッフも安心して生活できる環境を作る事 この町に 能登を災害に強い 魅力ある地域作りに協力する事 「能登がいい」「能登に居たい」 皆様のご支援を心より感謝申し上げます。プロジェクトの進捗や状況については、こちらで(プロジェクトページの「活動報告」にて)投稿していきます。目標金額達成のためプロジェクトのシェア等、支援者様のさらなるご協力をしていただけますと幸いです。こちらのリンクをシェアいただければと思います。https://camp-fire.jp/projects/view/752000
プロジェクトを公開し、皆様からの沢山のご支援とあたたかいお言葉を頂き、溢れんばかりの感謝がエネルギーになっています。本当にありがとうございます。今日はご支援者から頂いたアドバイスが嬉しくて「活動報告」とともにご報告させて頂きます。「メイン画面」に私達の心(思い・願い)を載せました!発災後から時間に追われるように今を迎えています。毎日発生しする未曾有の”困難”。それを乗越えるために試行錯誤の連続。院内では生活可能な1階クリニック部分は全て(検査室・オペ室・外来ロビー他)居室に整えました。(画像は震災前の外来ロビーと現在の同場所です。)1月1日(元旦)16時10分 地震「特別警報」 アラームが鳴り1回目の地震が発生し、数分後本震(志賀町震度7)が発生しました。1回目の地震発生時、患者様をお守りするためにその場所で業務を行っていたナースはナースセンターから出るのと同時に本震発生でした。トップ画面の画像は発災直前まで業務を行っていたナースセンターです。見るも無残に 落ちているのは壁上部に固定されていた棚です。そしてナースコールの配電盤。もし、本震前の地震がなかったらこの棚の下で業務していた当院の大切な職員に直撃していたかもしれません。本震は突き上げるような感覚と縦にも横にも上下にも揺れ、頭上からは得体のしれないものが降り落ち、すべての棚、大きな機器が倒れ、表現しきれない音と悲鳴。誤作動で稼働したスプリンクラーは 容赦なくスタッフや、患者様の上に冷たい水をまき散らし、あたりは洪水状態と化しました。何分経過したでしょう。とても長い時間だったように感じました。その後鳴り響く津波警報。院長の指揮でスタッフは無我夢中で患者様全員の避難誘導開始。エレベーターは停止し、使用できません。独歩で避難できる方は2~3名です。担架では追い付かず、シーツ、バスタオルを簡易担架として使用。車椅子ごと両サイドで持ち上げ移動。命がけでの誘導でした。発災日は元旦でしたので、スタッフも少人数でした。そんな中、お休みだった富来地区の職員は誰に依頼されたわけでもなく、自らの意思で自分の家族を連れて駆けつけ、避難誘導に加勢してくれました。その甲斐があり、患者様そして、スタッフ全員が無事怪我無く避難することが出来ました。今だ続く余震で損壊状態が悪化し、この地域では住み慣れた家で生活を続ける事が困難だと判断せざる負えない状況になっています。 それでも「能登が好き!」「離れたくない!」「ここに居たい!」それがこの地域住民の願いでもあります。当院でお預かりしている方、そのご家族も この地で日本海の潮の香と四季折々の風情を浴びながら ここでの生活を希望されています。私達はその思いに寄添い、今は満足な事はできないかもしれませんが、ご家族様に代わり、それぞれの専門分野でサポートをさせて頂きながら大切な命をお守りできたらと 医療や、介護が必要な方に 医療や介護が提供できる避難場所として、お一人でも多くご利用頂けるよう試行錯誤で居室整備をしています。このプロジェクトではそれぞれの思いを目標に、ご入所者様(患者様)、ご家族様、スタッフ、ご支援いただいている皆様の心を活力とし、橋を架け能登の未来に繋げたいと願います。是非皆さまからご意見、アドバイス等頂けましたら幸いです。※メイン画面を修正した画像は審査中のためもうしばらくお待ちください。