本当にありがとうございます!!
このプロジェクト終了日である8月31日。
一つの歴史と人の想いが明日へとつながった…時がつながった維時の瞬間をひしひしと感じました。
そして本当にごめんなさい!!
これから御礼の作業にとりかかります。
必ず感謝をお届けしますので待っていてください。
ほんっといつもみなさまの優しさに甘えていてすみません。
前からお話していますが、やったことのない事や、はじめての事に挑戦するのって、本当に風当りが強いんです。ホコリが飛んで来て「わっ」て目をつぶって立ち止まることを余儀なくされる時もあれば、小石や枝が飛んで来て「いやっこれは痛いぃぃ」と悶絶する時もあります。
この強風にはですね、やっぱり一人では進んでいけないと思います。
メンタル土筆の宮司視点では凄惨極まる状況でした。
同じ神主さんからもなんか飛んできたりするので、まぁこれは誰に言ったってわかってもらえないんだなぁって思っていたんです…が!!
こうして陰日向に応援してくれる方が支えてくれていて、あきらめずに今日もまた前に進むことができているんだ…と知りました(宮司の中でも過去最大級につらい案件だったようです)。
この表現しか見つからなくてもどかしさもあるのですが、ありがとうございます!!
支えてもらいました、引っ張ってもらいました、励ましてもらいました。
今日もプロジェクトである造成工事が行われています。
現在平和の塔が3分の1ほど解体されています。
山家神社境内にある平和の塔は、石の剥離が著しく地震をはじめ冬季の凍みあがりにはもう耐えられないくらい、限界が来ていました。
昭和の後期につくられた近代的な形の建造物であり、そこには「平和の塔建造の経緯」と「真田町長地域の戦争で亡くなられた方のお名前」が刻まれた石板が埋め込まれていました。
もう危ない、なにかあったらどうする?と見積をとりましたが、大変大きな金額でとても神社と遺族会でまかなえるものではありませんでした。
解体するには申し訳なさが残り、とても手がつけられないジレンマに陥っていました。
それが今回プロジェクトである本原地区の英霊殿を引き取ると決めた瞬間から、この苦悩から解放された気がします。これは当初英霊殿の解体を決断した本原地区遺族会と同じ気持ちなのかもしれません。
自分たちの手で無に帰してしまうのは忍びない、申し訳ない。
おそらくきっと、ずっと事あるごとにそう思いながら生きていくことになっていたかもしれません。その道しかなかったにしても、心にはきっとしこりが残ります。
だけど、突如として形は変われど想いがつながる…そんな新しい形、未来につなぐ形にできる道が開けたんです。
幸か不幸か、そのきっかけをつくったのは、
今回の本原地区の英霊殿(旧奉安殿)解体でありました。
私のところに話が舞い込んできたのも、なにかの縁、他生の縁であったのかもしれません。
そう考えて、みなさまの他にも、神社の神さま、そしてご先祖さまたちにも支えてもらっている事業であると、心より感謝申し上げます。
さきほどの平和の塔、当時の人たちは未来に何を残したかったのでしょうか?
その形?威容?
それもあったかもしれませんが、その本質は
「平和への祈り」「こんな悲しい苦しい同じことはもう起こさないで」「未来は明るくあって欲しい」「忘れないで」と私は感じています。
その想いを埋め込んだ石板は新しい形で、これから移築再建へと動いていく英霊殿(新名称:真田照今殿)に玉垣風に安置する形で伝えていきます。
このプロジェクトの他にも、翌日よりすぐ真田の仕掛けと御柱祭という大きなプロジェクトが開始され、その反動から、気力が戻らずになかなか身動きとれない日々が続いておりました。
が、今日立ち直りました!!
実は神主さんの中でも共感して支えて励ましてくれる仲間が4人もいたんです。
昨日なんだか元気もらいまして、今日ようやく動かざること山のごとしから方向転換することとなりました。
今まで腐っててほんとごめんなさい!!
今日から少しでも前へ進んでいきます!!
写真は暗い中に灯りを照らしていきたい…そんな想いでつくったぼんぼりです。
アスヲテラス、そんな今でありますように。