Check our Terms and Privacy Policy.

洋画家佐伯祐三の生家で障がい児と地域のアート拠点とアーカイブギャラリーを作りたい

佐伯祐三の生家が福祉事業を始めて100年。 大正末期から母子寮、幼稚部、図書館、日曜学校、お寺カフェ、相談指導、保育所、障がい児の入所施設など社会福祉事業を続けてきた歴史ある場所「中津学園(光徳寺善隣館)」を、障がい者と地域の人々やこどもがアートを通じて交流できる場所として再生したいです!

現在の支援総額

2,449,997

48%

目標金額は5,000,000円

支援者数

226

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/11/01に募集を開始し、 226人の支援により 2,449,997円の資金を集め、 2024/12/16に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

洋画家佐伯祐三の生家で障がい児と地域のアート拠点とアーカイブギャラリーを作りたい

現在の支援総額

2,449,997

48%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数226

このプロジェクトは、2024/11/01に募集を開始し、 226人の支援により 2,449,997円の資金を集め、 2024/12/16に募集を終了しました

佐伯祐三の生家が福祉事業を始めて100年。 大正末期から母子寮、幼稚部、図書館、日曜学校、お寺カフェ、相談指導、保育所、障がい児の入所施設など社会福祉事業を続けてきた歴史ある場所「中津学園(光徳寺善隣館)」を、障がい者と地域の人々やこどもがアートを通じて交流できる場所として再生したいです!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

このアカデミックめが!

 

「立てる自画像」(1924年 大阪中之島美術館蔵)にまつわる佐伯祐三の有名なエピソードである。

意気揚々とフランスに来た佐伯祐三は半年近く経ったある日、画家で友人の里見の計らいで、パリの北に位置するブラマンクのアトリエを訪ねる。ブラマンクはマティスなどと共に活躍したフォービズムの画家だ。

祐三はブラマンクに見せるため、持っていった「裸婦」はきっと自信作だったに違いない。

 

しかし予想に反して、ブラマンクは「このアカデミックめが!」と一言吐き捨てるように言ったという。

 

その言葉は、学生がうまく書いた絵にすぎず、画家の絵ではないという意味合いが含まれていたのだろう。その言葉に祐三はひどくショックを受けたという。

 

ブラマンクの辛辣な言葉の後、まだ自分は何者にもなり得ていない、その焦りが見て取れるのがこの「立てる自画像」である。

何者でもない自分、顔は鋭く拭き取られている。

 

しかし、見方を変えれば、それでもなお画家としての自分を描いているのだ。ブラマンクに言われたあの言葉のままでは終われない、本当の画家になりたいと強く願っているようにも感じ取れる絵である。

そしてそれがきっかけで、その後次々と名画が生まれていった。

 


シェアしてプロジェクトをもっと応援!