いよいよ、クラファン終了まであと5⽇です!! ぜひ、応援や拡散をよろしくお願いします。
今回は、佐伯祐三一家が第一回目の渡仏の後、大阪で過ごした1926年のお話。
祐正・祐三の姉・文栄さんは、現大阪市港区弁天町で金融業を営む裕福な家に嫁いだ。実家で居心地が悪かった祐三は、ここに長期滞在していたようだ。文栄の娘、息子とも交流があった。
この家に滞在した祐三は、文栄の息子を伴ってよく写生に出かけたという。中之島の吉村洋画材料店(現ホルベイン)で画材を買い求め、その後安治川沿いでスケッチをしていたようだ。
※吉村洋画材料店は、現在も絵の具など画材を製造・販売するホルベインのこと。https://www.holbein.co.jp/company/history/chronology.html
イーゼルや絵の道具を分担して持たせて出かけ、祐三は夢中になって滞船を描いた。真横から描かれた船は、帆柱が垂直にそそり立ち、大きな空を分割しリズミカルで緊張感のある絵に仕上がっている。また、祐三の筆さばきによって、船の胴体のざらつきや風水に耐えるテクスチャーが見事に表現されている。この時期にいくつもの作品を残している(下図は、「滞船」1926年ごろ ENEOS株式会社蔵)。
文栄さんのお孫さんが聞いた話によると、「写生をしていると、水辺に立てかけたイーゼルが突風で吹き飛ばされることもあった。これを文栄の息子は度々とりに行かされたそうだ。風が木屑や藁を拾い祐三の描く絵に張り付くことがあった。気を利かせて取り除こうとすると、作品が損なわれるからそのままでいいと祐三に諌められたという。」無頓着なようでいて真っ直ぐに絵だけを極めたい祐三の心持ちがよく現れているエピソードである。
また、祐三は、蟹の絵をこの家で描いている(下図は、「蟹」1926年ごろ 個人蔵)
この蟹の絵にもエピソードがあり、お話を聞かせてもらった。ある時、この家の主人が茹でたカニをもらったそうだが、いつ料理したかわからないから食べたくないとゴミ箱に捨ててしまったそうだ。「おそらく、主人は活(イケ)のまま仕入れ、家で茹でたものでないと口にしたくないと思ったんでしょう。今思えば、なんて贅沢だったんでしょうね。」と笑って教えてくれた。ところが、それを見つけた祐三はすぐにそれを拾い上げ、そそくさと写生をし、その後ペロリと平らげてしまったそうだ。
確かに、赤く茹で上がり勇ましくも、とても美味しそうである。それを見事に表現している。