今日から、薩摩スチューデント19名がご活躍された情報を1人1人ご紹介していきます!
記念すべき1人目は・・・?
「町田久成」です!!!!
【氏名、年齢】
町田 久成 (まちだ ひさなり)
27歳(薩摩藩留学生当時)
【生まれ~薩摩英国留学生になるまで】
鹿児島城下千石馬場通りにて生まれる。
薩摩日置郡石谷領主。
19歳で江戸「昌平坂学問所」で学び、
1863年には大目付となり、薩英戦争に警護隊長として参戦した。
1864年には「薩摩藩開成所」設立に関わり、開成所の学校長を兼務。
【薩摩英国留学生として海外へ渡る】
ロンドン大学で学び、大英博物館やケンジントン博物館などを見学し、博物館事業の重要性を認識し、感銘を受けていた。
1867年6月末に帰国。
【帰国後の活躍について】
ヨーロッパ滞在中に、博物館などの見学を通して、
仏教を敗訴し、寺などを壊す仏教破壊運動による文化財の破壊や、文化財の海外流出を残念に思い、
博物館建設や文化財の保護、調査・報告を進言する『大学献言』を太政官に提出した。
また、文化財を保護するために、約4ヵ月間にわたり東大寺や法隆寺、正倉院などの古社寺や華族が所蔵する宝物の現状を精査して所在を確認し、詳細な調査記録を作成。
この調査により、衰退していた日本文化への関心が高まり、文化財の海外流出を食い止める。
博物館建設のために尽力し、帝国博物館の初代館長となる。
1890年には、三井寺光浄院住職となる。
1897年(明治30年)9月15日、療養先の上野の寛永寺明王院にて59歳で死去。
【その他】
官費が不足する中で私財を用いてまでも、収集を続け博物館の所蔵品充実に尽力した。美術品の鑑定眼が優れていたと言われている。