昨日から始まった、薩摩スチューデント19名のご紹介コーナー。
本日は、「鮫島 尚信」をご紹介させていただきます。
【氏名、年齢】
鮫島 尚信 (さめしま なおのぶ)
20歳(薩摩藩留学生当時)
【生まれ~薩摩英国留学生になるまで】
鹿児島城下山之口馬場町(現:鹿児島市山之口馬場町)にて生まれる。
15歳で蘭学を学んだあと、藩命により研究生として、長崎に学び、医学のほか、英語を学んだ。
1864年に設立された藩立洋学校「開成所」で訓導を務める。
【薩摩藩の留学生として海外へ渡る】
ロンドン大学法文学部に約1年間学ぶ。
その後、渡米し、宗教家のハリスが結社した「新生社」に入り、ブドウ園で働きつつ学んだ。
アメリカニュージャージー州のラトガース大学へ移る。
ハリスは、王政復古後の日本政府で働くことを進めたので帰国することにした。
明治元年に帰国。
【帰国後の活躍について】
明治政府で働き、外交官としてイギリス、フランス、プロシャとの外交官を務めた。
5年後には帰国して外務卿の寺島宗則のもとで外務大輔(次官)となった。
3年後の明治11年(1878)には駐仏特命全権公使として再びフランスへ渡る。
その2年後にはベルギー・ポルトガル・スペイン・スイスの公使も兼ねるといった多忙きわまる生活を送っていた。
在仏公使在任中にパリで持病の肺病に倒れ、35歳で病没した。
【その他】
「気高き働き人」だったと友人の森有礼(薩摩英国留学生)は語った。
まさに、日本と海外を繋ぐことに尽力された人物でした!!!!