今回は、卒業生Fさんが、令和元年度全国盲学校弁論大会で発表したスピーチをアップします。当時高等部2年生で、アンサンブル部長でした。
Fさんは、卒業後もアンサンブル部の後輩たちに声をかけ、アドバイスをしてくれます。
全国盲学校弁論大会では、アンサンブルを通じた経験や想いを語ってくれています。ぜひ皆さんに読んでいただきたいです。
「マイナスから得たもの」
熊本県立盲学校 高等部普通科2年 F
みなさんには何か、欠点やコンプレックスに思っていることはありますか。私にとってそれは視覚障がいがあるということです。
私は今、学校のアンサンブル部に入部していて、マリンバやシロフォン、ビブラフォンといった打楽器を演奏しています。何人かで演奏をするうえで目が見えない、見えづらいということは、一般的に不利だと思われがちです。合奏の要である指揮が見えなかったり、打楽器を演奏する場合は思いもよらないところを打ってしまったりと、確かに大変なことがたくさんあります。実際に私も、そういう経験を数えきれないほどしてきました。ですが、「不利だな」と思ったことは一度もありません。なぜなら、目が悪いからこそ得られたものがたくさんあるからです。
私がアンサンブル部に入部したのは、小学2年生のときでした。特別、音楽に興味があるわけでもなく、見学にいった流れでなんとなく入ったという曖昧な感じでした。また、幼かった私はアンサンブルに欠かせない、呼吸を合わせて演奏するということを知るはずもなく、ただただ太鼓を叩いていました。そしてそのまま、何度も大会に出場したり、依頼をうけてオープニングセレモニーで演奏したりしているうちに、小学校高学年になり自然と自分の中で音楽に対する思いに変化が現れてきました。先生から指導された曲の弾き方、感じ方を理解できるようになり、自分なりの演奏をしたいと思うようになりました。
私が中学二年生の冬、部にとっての大きな挑戦をしました。それは、全国高等学校総合文化祭熊本県予選で金賞をとり、なおかつ全国高等学校総文祭への推薦状をもらうということです。部員はたったの四名。この人数で挑むには、かなりの覚悟がいりました。それでも、全員一致で目指すことになったのです。それからの練習では、呼吸をあわせることはもちろん、一音一音の出し方、一瞬の間の間隔など、細かいところまで何度も何度も練習しました。ときには、この曲がどんな曲で何を伝えたいのかを考えて、意見をぶつけ合うこともありました。
そして、いよいよ本番当日。ステージにあがると今までにないくらいの緊張に手が冷たくなり、心臓の音がまわりに聞こえるのではないかと思うくらい早まりました。中学生で高等学校の大会に出場して演奏するということに対する緊張と、高校生ばかりの会場の雰囲気に飲まれそうになるのを必死にこらえていました。実際のところ曲が始まってからのことはよく覚えていません。ただ、一つ覚えているのは、それまでにないほどの楽しさと心地よさを味わったことだけです。そして、演奏も無事終わり、結果発表。全員祈るような思いで耳をすませ、発表のアナウンスに集中しました。
「熊本県立盲学校 金賞」
その言葉が会場に響いたとき、今までの緊張、不安がプツンと切れたように感じました。同時に、これまで感じたことのない達成感と嬉しいという言葉では足りないくらいの気持ちで満たされました。夢に見た全国総文への切符を勝ち取り、滋賀でおこなわれた大会に出場することができました。熊本県の代表として、自分たちらしい精いっぱいの演奏をつくりあげたそれまでの道のりは、私にとって忘れられない貴重な体験となったのです。
高校生になり、私は部長になりました。今まで部長をされていた先輩を何人も見てきて、苦労や責任の重さはある程度わかっているつもりでした。ですが、いざ自分がなってみると、想像をはるかに超えるほど大変でした。部全体を見て行動すること、メンバーへのアドバイス、部長としてのあり方など、頭を悩ませることが多くありました。部としての活動が多くある中、本番が近づく度、「部長としてちゃんとみんなをまとめられているだろうか」と自問自答していました。ときには「もっとまわりを見ていれば」「集中していれば」と悔やむこともありました。それでも部長という役割を任されている限り、人として、演奏者としてもっともっと成長していかなければならないと強く思っています。
私は、アンサンブル部の活動をとおして、音楽の楽しさ、素晴らしさを知ったことはもちろんのこと、人との関わり、リーダーシップの難しさを学ぶことができました。日々のくらしの中では、視覚障がいという他の人とは少し違うステージにたっていても、音楽の世界では、皆平等に同じ檀上で発表したり競い合ったりできるのだと感じます。一人一人が自分の中に欠点だと思うこと、不利だと感じること、コンプレックスなどあるかと思います。でも、みなさん、それを通した心温まる思い出はありませんでしたか。私は、障がいという、自分ではコンプレックスに思っていたことを通して盲学校に入り、アンサンブル部に入部し、障がいがあることを忘れるほど打ち込めるものに出会いました。「見えづらくてよかった」とまでは言えませんが、見えづらかったからこそ楽しめることを見つけられたと思います。
私は誰でも、視点を変えればマイナスから得るものがあると思います。自分が夢中になるものに出会う日が来るはずです。そんな素敵な出会いを大切にして一日一日を過ごしたいと思っています。これから社会に出ていく中で、小さなきっかけから自分自身が一生懸命になれる、楽しめることをもっと見つけていきます。「マイナス」を「プラス」に変えるために。