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心のパンツを脱いで素顔に戻っちゃう宿、小田原のティピーに遊びに来ませんか!

【「心臓」がなくなっちゃいました!!】『観光の“通過点”である小田原に、地元の人と外の人が交わる点をつくりたい』『そこに新しい価値観と文化を積み上げていく』これが僕の一番やりたいことでした。そのために、カフェ&ラウンジをつくります。見た事ない未来を見に、この船に乗りませんか?よろしくお願いします!

現在の支援総額

10,771,000

1,077%

目標金額は1,000,000円

支援者数

527

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/06/03に募集を開始し、 527人の支援により 10,771,000円の資金を集め、 2024/07/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

10,771,000

1,077%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数527

このプロジェクトは、2024/06/03に募集を開始し、 527人の支援により 10,771,000円の資金を集め、 2024/07/31に募集を終了しました

【「心臓」がなくなっちゃいました!!】『観光の“通過点”である小田原に、地元の人と外の人が交わる点をつくりたい』『そこに新しい価値観と文化を積み上げていく』これが僕の一番やりたいことでした。そのために、カフェ&ラウンジをつくります。見た事ない未来を見に、この船に乗りませんか?よろしくお願いします!

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ずっとバンドをやりたかった。

これが僕の生きる意味で、証明だったから。バンドマンはみんな一度はバンドで食っていくことを夢見る。そして生活の全てをつぎ込む。


まわりが就職する中、フリーターとなり月に何本もライブをする。
ライブが中心の生活なので居酒屋の深夜バイトだったり出会い系のサクラやったりバンドマンは手っ取り早く稼げることに勤しんでいた。
稼いだ金はブッキングライブのチケットノルマへと消えていく。それだけじゃない。楽器や機材、スタジオに入るためのお金は必要だし、レコーディングするのにだって当時は10万円以上した。

そうしていくうちに日の目を浴びない、俗に言う売れないバンドマンは疲弊し、次の未来を考え出す。例外なく僕たちも二十歳から本腰を入れたバンド活動は3年ほどで一度解散に至る。

でもやめたくなかった。一生バンドを続けたかった。一度メンバーチェンジを経ながらもどうにか続ける道を模索してた。でもそれには時間もお金も足りなかった。家族もいるし、夢のマイホームだってローンが残っている。僕はわがままなのだ。家族との幸せを担保しながらも自分が生きる証明をし続けたかった。だから本業の仕事をしながら副業を探した。

仕事の合間に本を読み、サラリーマンが片手間でビジネスできそうなものを探す。不動産投資はもちろん、太陽光発電とか株とかFXとかコンテナ投資とかもう胡散臭そうなやつもかたっぱしから知識をぶち込んだ。そんな中、出会ったのがAirbnbだった。

当時の僕は箱根でバスの運転手をしていて、来る日も来る日も外国人観光客を乗車率200パーセントで乗せていた。だから、Airbnbをはじめて、小田原経由で箱根に遊びに来る海外の人の相談に乗るのは容易だった。



これが本当にたのしかった。

自分の身の回りの当たり前の情報を提供するだけで本当に喜んでもらえた。「富士山の見えるおすすめの場所はどこ?」「御殿場アウトレットまではどうやって行ったらいい?」「芦ノ湖の最終のバスは何時まで?」「おすすめの温泉は?」

全てがもう手に取るようにめちゃめちゃ解像度高く熱量高く伝えることができた。

一部屋から始めたairbnbは稼働率80%を超え順調に運営していた。お客さんがチェックアウトした後はほとんどあさみが掃除に行ってくれていた。まだまほが2才くらいで面倒を見るだけで精一杯なはずなのに一緒に連れて行って清掃してくれていた。僕も仕事の休憩中に1時間あれば掃除に行っていた。そしてバスの運転に戻る。

airbnbが軌道に乗ると同時に考えることも多かった。バンドをやるために始めた副業のAirbnbだけど、なんでバンドをやりたいんだっけ?と自分に問うようになった。今まで表現の方法は音楽、バンドでしかできなかったけど今は違うかもしれない。

僕はバンドを通して誰かの「何かがはじまっちゃう瞬間を作ること」が本当に好きだった。ライブすることが好きだった。それはゲストハウスでもできるんじゃないか?と思った。

同時に仕事もストレスから体調も崩し始め、このまま仕事を続けることは考えづらかった。

「仕事辞めてゲストハウス一本でやろうかな...」

そう考えることが増えた。

とはいえ地元で名の通る企業を脱サラして起業する。それ自体めちゃめちゃ悩んだ。婿養子で入った家の二世帯住宅の住宅ローンは残り30年。子供も小学校に入る前。不安定な世界に飛び込むには不安要素が多すぎる。

ずっと燻り、自分で何かやってしまいたい。やりたい。と友人を誘っては話す日々。特に当時は今回のクラファンを一緒に作ってくれているくいしん、ティピーの写真を撮ってくれている大川直也、湘南ゴールドエナジーの守屋くんには何度も相談した。

本当にやろう!と心から勇気を出して決めた時、そこにはいつも言葉があった。

その中でも一番勇気をもらった言葉は

「思っていてやらないのは思っていないのと同じ」

その言葉に対して、「思ってるし!やるし!」と心の中でキレた。奮起し行動した。そんな悩む日々にみかねた妻も「やりなよ!」と背中を押してくれた。本当に感謝しかない。

そして2017年の冬に僕は会社に辞表を出した。今となっては本当に文字にすると簡単だけど並々ならない勇気が必要だった。辞めると言うのも、家族に挑戦したいと話をするのにも声は震えた。でももう始まってしまえば、そこからはもうロックンロールな感じ!ゴロゴロ転がりながら開業までこじつけた。


あれから6年。結局のところ僕は今も変わらずバンドをしている。ティピーはバンド。宿だけどバンド。起業と言う選択肢もゲストハウスも手段でしかない。ティピーのみんなそれぞれが思い思いの表現をして誰かの何かがはじまっちゃうを作っている。



「絶対にうまく行って来年にはハワイにいけるから!一年の三分の一はハワイで過ごせるから!」

ティピーを始める前に妻としたこの約束はいまだ果たせていない。


6日連続のヒストリーはこれにておしまい!全部読んでくれたかたありがとうございます。

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