終了まであと5日!!本当にここまでありがとうございます...涙
あと5日で、なんとか!なんとか超えたい!ご支援、応援、よろしくお願いします。
「なんで小田原でやってるんですか?」と聞かれることがある。
今で言うと縁でしかないのですが、いくつか理由がある。
神奈川県の二宮町に生まれた僕。今でこそ二宮っていい街だよね!とたくさんの方から言われるけど、バーミヤンとスリーエフと西友と仲間と集まる場所はひたすらにあったけれど、本当に何もない街で、湘南の民からは湘南ではない!とやっかみを受け、西湘の人には西湘じゃなくない?海沿いの街なのに立場ないと言う中途半端な扱いだった。(幼少期の僕の感覚なので全然異論は認めます。)そんな中遊びにいくのは平塚か、秦野か、小田原か。どの街にも遊びに行けるのでそれは便利だった。
小田原にタワレコがあったこと。
これが僕が小田原に通いまくる一番の理由だった。何度も話してるけどタワレコに僕は育ててもらったんだ。初めて就職したのも小田原の会社だった。蕎麦屋のバイトをしてた時にいい加減に就職しないとな!と18才の時に思い働き始めた。その辺から毎日小田原にいるようになる。
一番の大きな原因はバンドだ。
二十歳になる前にバンドを組んだ。初めてのオリジナルのバンドで、「GLAM TANKS」と言うバンド。初ライブを小田原の姿麗人でやって依頼ここを「ホーム」というに様に、「小田原のバンド」と名乗るようになった。
月4回のライブのうち、月に1回程度地元でライブをして3回は東京でライブをする。そこで東京や地方からきたバンドと仲良くなり「小田原きてよ!」と伝えてた。今思えばずっと小田原で迎えることばかりをしていた。「小田原きてよ!」はもう口癖。
小田原への恩返しでもある。
実は妻と出会ったのも小田原の人の力だ。
当時小田原駅前の至る所でライブを行うイベント、小田原城ミュージックストリートと言うイベントがあった。今板橋のカフェkuraを営む飯山さん(当時市役所職員)が主催するイベント。そこに参加した。ラスカの屋上が僕らのステージ。
爆音すぎて絶対にクレームくるだろ!笑 と思いながらステージにたった記憶。暑さでろくな演奏もできなかった記憶。そこに先輩に誘われてきていたのがあさみだった。そこを初めましてでその後先輩に背中を押されまくりお付き合いし結婚して今がある。
イベント以外でも出会うきっかけはあるにはあったかもだけど、ミュージックストリートがなかったら今がないかも...しれない。
そんなこんなで小田原がないと今の僕はない!燻ってたしょうもないやつを助けてくれたのは小田原!と言うことで今は小田原を中心にやってたりする訳です。
小田原以外でやらないんですかー?との問いには今は小田原でやりたい。と答えてます。でもこれからはわかりません。どうなるだろうか。