支援してくださった方から、「デレセと一緒にエチオピアで走りたい」というメッセージをいただきましたので、デレセ・タソ・スクールがある町、デバルクについて、サポーターの元エチオピア派遣 青年海外協力隊古泉がご紹介します。
プロジェクトページにもある通り、デバルクは、エチオピア北部のゴンダールという、空港もある比較的大きな街の近くにあります。
デレセ・タソ・スクールはこちらです!(グーグルマップが開きます)
航空写真ではまだ何もありませんが、実際には、写真にある通り、学校があります。
デバルクの標高は2800mと、富士山7合目くらいの高さがあります。そして、1978年、世界で最初に登録された世界遺産12件のうちの一つであるシミエン国立公園が近くにあります。この国立公園の初代公園長は、なんとC・W・ニコルさんです。
そしてこの「アフリカの天井」には、エチオピア最高峰(アフリカでは5番目)のラス・ダシェン山(4,533m)などの高山が連なっています。ラス・ダシェンへの登頂は、5日間以上が必要とされています。
私は青年海外協力隊員の時に、このラス・ダシェン山に登ったことがあります。私自身もほぼデバルクと同じ標高の北部の町に住んでいたため、高山病にはかからなかったのですが、「高山が連なっている」というだけあって、上ったと思えば下り、そしてまた上り、下りが5日間も続いてかなりきつかったことを覚えています。
ちなみにエチオピア派遣の隊員は、隣国のアフリカ最高峰キリマンジャロ登頂に挑戦することが多く、私もご多聞に漏れず、キリマンジャロ登頂を果たしました。その後、このラス・ダシェンに登るにあたり、先輩隊員が言うことには、「キリマンジャロよりもラス・ダシェンの方が大変」ということだったので、かなり覚悟して行ったのですが、私としては、山頂のアタックが比べ物にならないくらいキリマンジャロの方が大変でした。
当時の自分のブログを読み返すと、「5日間、毎日6~11時間ほど、地元民が歩いているような普通の道を歩く。キリマンジャロと比べて、特に寒くもなく、風もなく、特別に危険な個所もなく、最後は岩場なので全身で登る必要があるが、それ以外は普通に歩いて山頂に行ける。ただ、山頂とは言っても、ラス・ダシェンの場合、同じような高さの山頂的なものがいくつもあり、そこに登ったり、その後で谷まで下りたりという繰り返しのため、キリマンジャロの時のように、“ついに山頂だ!やっと辿り着きました!”という感動は薄め。」と書いておりました。
キリマンジャロ同様、この登山にも、ガイド、ガード、荷物やテントを運ぶロバ使い、調理人とアシスタントなど、大勢の地元民の力を借りました。一緒に歩いてくれたガードの足元はこんな感じ。本当に地元民がその辺を歩いているサンダルと同じです。よく見たらつぎはぎだらけです。この登山にも結構なお金を払いましたが、ちゃんと分配されているのか心配になったことを思い出します。
以下、ラス・ダシェン登山の時の写真です。
トップ画像は登山1日目の歩き始めてすぐの景色です。この写真では分かりにくいですが、一緒に行った人は、「宇宙のような景色」と言っていました。
こちらは1日目のキャンプサイトからの夕日
2日目。切り立った崖
エチオピア高地以外では全滅したとされる、現生のサルの中で唯一、草を主食とするゲラダヒヒ
5日目の帰りの車中より。ものすごい高地の斜面を耕してます。
デバルクでは、(日本の)2013年当時、 中国企業が道路を建設中でした。今やデバルクには大学まであるようです。
ラス・ダシェンの麓の村からお土産を売りに来ている大人と子どもたち。町では一瓶7ブルのペプシが25ブル(当時は1ブルが5円くらい)でした。
この麓の村の子どもたちは、当時学校に行けていたのでしょうか。現在はどのような状況なのでしょうか。
デレセ・タソ・スクールの必要性と重要性を感じさせられます。