■「なぜコワーキングの開業が尾道なんですか?」の質問について整理しました
昨日のこと。今、補助金などに向けた書類の準備に奔走しているのですが、「後藤さんがコワーキングを開業するとして、他の場所であってもできそうな気がするのですが、なぜ尾道なんですか?」という質問をいただきました。自分にとっても改めて整理するいい機会となりました。まとめると2500字を超えたのですが、もし気になる方はこのブログの下に載せておきますのでよろしければご覧ください。(ニーズがあるかわかりませんが載せておきますね)
■16日目のレポート
本日もご支援いただきましてありがとうございました。残り19日になりました。100名目前、少しずつまたご支援も動き始めてきました。そろそろラストスパートに向けて準備し始めるようなフェーズですね。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
(以下、長いのですが気になる方はどうぞお読みください。稚拙な内容で大変恐縮ですが…)
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■尾道でコワーキングを行う理由
以下3点にまとめます。
1.お世話になった尾道への還元
移住したのは妻の実家があったからですが、地域に対してご恩を感じるのは住み始めてからのこと。若者チャレンジ講座を通じて担当者や、商店街の関りから事業者の方々、豪雨災害のときには移住者の方々、移住施策の際にも多くのサポーターの方々と、移住してからの8年間で地域のなかで多くの人にお世話になってきました。
自分が業務を通じて特殊だったのは、若チャレや移住施策もあり、活動範囲が、尾道市域ほぼ全域にまたぎ、各地域で知り合いができたことだと思います。各地域でその地域を盛り上げようと活動される方がいらっしゃって、その方の活動のフォローになることが何かないかという視点から動き続けてきました。
また、3年間続いたFacebookライブ配信の「オノミチシェアチャンネル」では総勢100名の方の数珠繋ぎが起こったことも大きな要因です。コロナ禍、観光やシェアオフィスのミッション=地域外から人を呼ぶことが叶わなくなり、「だったら尾道から外に出ていこう」というコンセプトで動き始めたのがオノミチシェアチャンネルですが、無償にも関わらずこの思いに共感してくださり、またこの活動を面白がってくださった町の方への御礼の気持ちとともに、面白い町だなぁと感じたことは大きかったと思います。
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2.8年間コワーキングスペースに関わり、コワーキングの可能性とその先に起こる(かもしれないこと)のビジョンが見えたから
コワーキングスペースというものが日本で起こったのは14年前の2010年5月のことで(神戸、カフーツ)、ONOMICHI SHAREのオープンが2015年1月15日。この時期のコワーキング(厳密にはONOMICHI SHAREはシェアオフィス)はまだ黎明期が終わったあたりで、徳島県神山町のサテライトオフィスが成功事例としてその後を続く開業の時期でした。「コワーキングとはなにか」というテーマとともに、私が2016年2月から就任してしばらく考えていたテーマは「尾道にコワーキングスペースがある意味と担える役割」についてでした。
シェアオフィスとしてあるいはサテライトオフィスとして、県外市外からの企業やオフィスワーカーの誘致を目的にするなかで、利用者からは地域との接続が求められることがありました。それは東京から一時的に尾道に滞在するなか、せっかくの滞在期間に町に出たいと思うのは当然で、そのために町の情報(ラーメン屋さんや観光地など)を収集することは必須でした。一方でサテライトオフィスとして運用すると、施設内に地域性は集まらないように感じていたのですが、それを解決したのが「移住者」でした。「移住者は住所を尾道に移すと利用条件に合わないのか?」という矛盾から、ドロップイン制度がスタートし、徐々に利用要件を広げていったのはご承知の通りですがその変化が大きかったと思います。
そんな時期を経て、1で述べたような町との繋がりのなか、また全国のコワーキングを視察に回り、私のなかで得た可能性は「地域の中の様々なコミュニティが繋がることでシェアできるものはある。そのシェアを通じて、また進むことがあるのではないか」ということです。
移住者は移住後、ビジネスや生きがいでも地域の人や事業者、企業と繋がる機会を求め、企業は人材や新しいビジネスチャンスや地域との繋がりを求め、学生は企業との接点や学びの機会・外の視点を求めています。また町のなかの飲食店や宿泊などの事業者は利用者を求めています。(あくまでもコワーキング=働くこと(仕事や作業、勉強などはここでは問わない)が前提にあると思うので、それぞれの仕事を前提に話を進めます)。
それが叶う世界、叶ったときに進む事象を実証的に見てみたいと思ったことが理由です。コワーキングという考え方は現在、日本内では多様化しています。都市部では効率的なオフィス環境や都会的なコミュニティ文脈での施設運営が進み、一方で地方では今回のbench!のような、ローカルコワーキングとしての新しい取り組み(地域での役割)がようやく明示化できる手前まで来ているような気がします。それが語られるようになるには、具体的に事例が生まれ始めてからかなと思いますが、尾道のケースもまさにここに追従するところまで来ているように思います。
参考)利用または見学に行ったことのあるコワーキングスペース
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=1herN_8k9Z0u2S76-0mzsa75IPlG2-yk&usp=sharing
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3.属人化の解消と担い手の継承
まちづくりのような取り組みとその役割は、ONOMICHI SHAREのなかでおかげさまで担う機会が増えました。若者チャレンジ講座や移住コンシェルジュ業務、UIJターン就職に向けた地域企業の課題へのアプローチ、尾道商業高校やプログラミング体験ワークショップなど教育の場などでの関りなどです。
基本的には、各テーマのなかでの企画立案、運営事務、ゲスト調整などです。これらは、過去の私の経験も生かしながらも、尾道移住後の出会いから、地域外のゲストなどを頼り、企画実現までできるようになったことが大きいと思います。
一方で、前職ONOMICHI SHAREのなかでは、このような取り組みができる人材がおらず、また次の世代に引き継ぐ機会が少なくて、自身に属人化することが懸念となっていきました。業務量が増えることではなく、属人化することで、ナレッジが蓄積されないことが不安の中心でした。
これは将来的に、もちろん自身がこれら業務を担い続けるのかということはありますが、ここで生まれた繋がりや実績などが私以外でも担えるようになること、分散できることが町にとってはメリットだろうと考えるようになりました。
また私自身、京都の両親の状況などにより、二拠点などを余儀なくされる可能性を考えるようにもなりました。
そのためにも、担い手を育てることが大事で、また担い手が活動を通じて、尾道での想いと役割意識が強くなること、活動をしたいときにbench!のような拠点があること、拠点を通じて活躍の機会を得ることが起これば、将来的な循環が生まれるだろうと考えるようになりました。
移住コンシェルジュ業務のなかで、実際に他県でこのような繋ぎ役(コミュニティマネージャー)のような職務に就かれる方もUターンされていることも知りました。30代でのUターンは、実務経験をもって即戦力として地域で活動できるのですごく大きいとも感じていますし、彼らが活躍できる機会が生まれやすいような接点づくりは急務と考えました。
また10代でも、その時期からこのような役割があることと地域で活躍できる可能性があることが知れれば仮に進学や就職で尾道を離れても、いつかのUターンに繋がるように期待をしたいなとも考えています。
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…上記3点が、今回私が尾道でコワーキングを新たにスタートした理由です。広島県内での繋がりも広がりましたが、これまでの積み重ねや地域との繋がり、地域の課題感から感じる自分ができる次の役割を思うと、尾道で活動をしようという結論に至りました。
(以上です。お読みいただきありがとうございました!)