私が働いていたカフェで、お客様に慕われていて人気のある先輩や同僚の姿を沢山見て、憧れて自分もそうなりたくて、その姿から接客を学んで、たくさん試行錯誤してきました。
憧れていた先輩や同僚がお客様から好かれていた理由が、“健常者だから”ではもちろん無いように、
“障がい者だから”という視点をお客様からも自分からも排除して、私も1人のカフェ店員として成長したいと思いました。
一般雇用と障がい者雇用どっちが良いのか、両方経験した身として、そんな簡単には言えません。
事実、私は就労移行で生活リズムを整え、特例子会社で色々配慮してもらって初めてまともに働くことが出来ました。
働かせてもらっているという感覚の方が正しいかもしれませんが、自分の辛い症状を怠け甘えではなく、障害特性として見てもらえる初めての経験だったので、苦しさがだいぶ和らいだ記憶があります。
話が少し逸れますが、
特例子会社で上司に<不眠>の症状を訴えた時、“遊んでいて眠る時間が無かったことを言い訳にするな”と言われたことがあり(私の伝え方が下手なせいもあり)、“電気消して布団に入って目を瞑って眠ろうとしても眠れない時がある”というが分からないのか、理解してほしいなーと思ったことが有ります。
精神疾患において<不眠>は常識だと思っていたけど、そうでない人には分からない。
しかし私も、精神障がい以外の、身体障がいや知的障がいについては何も知らないし、知ろうともしていなかったことに退職してから気付き、自分の身勝手さを痛感しました。
“相手の事を知ろうともしないで、自分のことだけは話さなくても分かってほしい”、だと人間関係は成立しないし、それは障がいの種類が違うか同じか関係無く、もっと言えば健常障がいも関係無い。
人と人とのコミュニケーションでとても大切な部分であり、私には昔からそれが足りていなかったのだと思います。
話を【障害特性への配慮】へ戻すと、
最初に話したカフェでの仕事で、私はレジ締め後のお金の計算(売上金や翌日の釣銭など)が非常に苦手で時間が掛かってしまっていました。
それは障がい者雇用で障害特性としてみると、
脳内の神経伝達物質の問題で…となって(詳しいことは全然わからず、ごめんなさい)、その仕事を誰か他の人にやってもらう、もしくは簡単なところだけやらせてもらう、という対応になるかなと予想できます。
一方で私は一般雇用(そもそもやりたい求人に障がい者枠が有りませんでした)だったので、
色々なやり方、工夫の仕方を皆さんから教えてもらい、練習して、でもなかなか出来なくて苦しくて、という中で
「お金を扱う事への苦手意識」だったり、「間違えたら大変だからと何度も過剰に確認してしまう癖」、その背後には「間違えたら迷惑が掛かって皆から嫌われてしまう」という、
失敗・嫌われることへの恐怖が大きいことが原因だと判明し、それを少しずつ解消していく中で、自然と苦手を克服していきました。
どちらが良いかとかは、その時の状態・状況にも依るので、やはりなんとも言えないのですが、私はシンプルに一番最初に書いた通り、
憧れていた先輩や同僚がお客様から人気があった理由が、“健常者だから”では無いように、
“障がい者だから”という視点をお客様からも自分からも排除して、私も1人のカフェ店員として成長したい
という想いが強いです。
もちろん最初から上手くは行かず、「マジヤバい奴だと思ってた」とか「謝ってばっかりで変だった」とか、のちに店長や先輩から言われている通りなのですが、
「言葉が聞き取りにくい時があったり、テンパりやすいけど、接客は丁寧で一生懸命やってくれてる」と思ってもらえるくらいには、少しずつ少しずつ。
そこから先は沢山ぶつかり合うことにもなるのですが、それも含めて、健常者と障がい者といった関係で無いからこそ、少しずつ信頼関係が築けていくのかなと思います。
上手く纏まらなくてすみません。
私としては、新しくオープンする「カフェコッソリ」においても、一緒に働く仲間と健常・障がいまたは、元精神疾患・現精神疾患、スタッフと利用者、そういった関係では無く、対等に関係を築いていきたいなと思っています。
副店長 なび(川奈部大樹)