本書の共訳者である現代中国文学者、劉燕子さんが漢人の立場からチベットへの思いを綴った一文を紹介します。
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日中および漢蔵の狭間でマージナルな私にとって
劉 燕子
私は子どもの頃「チベット人を農奴制から解放してくれた毛主席に感謝」という、中国では広く知られている歌を聞きながら育った。また、チベットの娘が解放軍兵士の軍服を洗濯してあげる情景を歌った「洗濯の歌」では、「翻身農奴」に扮して、色鮮やかな紙で作ったパンデン(前掛け)の衣装を身につけ、「誰が私たちを生まれ変わらせてくれたのか?/誰が私たちを解放してくれたのか?/同じ身内の解放軍だ/救いの星の共産党だ」と歌いながら踊った経験もある。歌詞はさらに、チベット人を農奴制から解放し、自動車道や橋を建設し、裸麦の収穫や新しい家の建築を手伝ってくれた解放軍に感謝し、「私たちの生活は一変した/私たちは限りなく幸福だ/同じ身内の解放軍に感謝する」と歌い終わる。
この「洗濯の歌」は、文革が発動される二年前の一九六四年に発表され、広く歌われた。作曲者も作詞者もチベット人ではなく、漢人だが、そのようなことなど知らずに、私たち漢族の子どもは、教えられるままにグループで踊りながら合唱した。一九六九年三月から、ラサ近辺のニェモ県やチャムド地区のペンバー県など各地で惨烈な抗議事件が続発したことなど、もちろん全く知らなかった。
その後、一九九一年に日本に留学し、中国の地下文学や亡命文学の調査研究を進めるうちに教えられた内容とは違うチベットの状況を知るようになったが、その時はまだ抽象的な概念に止まっていた。
だが、二〇〇五年夏、ストックホルムで、天安門事件亡命者の茉莉・傅正明夫妻と会った。北欧の抜けるような青空から降りそそぐ透明な夏の日ざしを浴びながら傅正明は消息不明のチベット人の手書き原稿の詩を紹介し、朗読した* 1。
雪山よ
もし君が人間のように立ち上がらなければ
たとえ世界の最高峰でも
ただその醜さをはっきりとさらすだけだ
最高峰として寝ているよりも
むしろ最底辺でスクッと立つべきだ
兵士よ
もしどうしてもぼくを撃たなければならないのなら
ぼくの頭を撃ってくれ
ぼくの心臓は撃たないでくれ
ぼくの心には愛する人がいるから
この朗読を聞き、私は衝撃のあまり涙がこみ上げ、抑えようとしてもできなかった。さらにその時、一九五九年には一〇万人という規模の亡命者が出たという離散(ディアスポラ)も知り、強烈なショックを受けた。
亡命したチベット人は身体と精神の二重の苦痛を体験し、その上、母語が使えず、中国語、英語、ヒンドゥー語、サンスクリット語など様々な異邦の言語の中で亡命生活を送る者も多い。インターネットの普及で亡命チベット人が中国本土の親族や友人と通信できるようになったが、中国で広く使われているチャットのQQは、その発音から「哭哭(泣く泣く)」とも表記された。その内容が悲嘆に満ちているためであった。
こうして、チベット人の苦境を知れば知るほど、私は義憤を覚え、漢人の一人として良心の呵責に苛まれ、道義的な責任を感じた。さらに、楊海英の「内モンゴルが中国領にならなかったら、ジェノサイドもなかった、とモンゴル人は認識している」という指摘が* 2、痛烈に突き刺さった。そして、私はこのことを私自身の「生」に関わる課題と受けとめ、なお一文学者として改めて何をなすべきかと考えた。私は自分自身を振り返り、向きあった。その時、自分は日中と漢蔵の狭間でマージナルな存在であることを省察し、ここにオーセルと「生き方」をともにする立脚点があるのではないかと考えた。オーセルたちに自由がなければ、私にも自由はない。オーセルたちが泣くならば、私もともに泣こう。これは謂わば共感共苦(compassion)によるものである。
「炎にあえば御影石も溶ける」という* 3。我が身を炎と燃えがらせる抗議は、盤石に見える独裁体制も溶かすだろう。その思念や行動を記録し、伝えるところに文学の使命があり、また文学の真価が問われる。
* 1この詩は、亡命チベット人の詩のアンソロジー『西蔵流亡詩選』(傅正明、Sang Jey Kep編訳、傾向出版社、蒙蔵委員会、台北、二〇〇六年)に収録された。
*2 楊海英「ジェノサイドへの序曲―内モンゴルと中国文化大革命―」『文化人類学』第七三巻三号、二〇〇八年一二月、四四〇頁。
*3 アンナ・アフマートヴァ『アフマートヴァ詩集―白い群れ・主の羊―』(木下晴世訳)群像社、二〇〇三年、一七三頁。