チベット情勢をめぐっては、チベット仏教の精神的指導者であるダライ・ラマ14世の転生問題が様々に論議されています。事は単に宗教上の問題にとどまらず、中国とチベット亡命政府との関係や、中国のチベット政策の行方とも密接にかかわってくるからです。複雑な問題の背景を知っていただけるよう、かつてダライ・ラマ14世にインタビューした後に執筆した原稿をここに紹介いたします。
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チベット仏教の世界では、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマといった高僧は代々生まれ変わるとされている。高僧が死亡すると、側近らが占いなどを基にチベット各地で転生霊童(てんせいれいどう=「生まれ変わりの子供」を意味する中国式の呼称)を探索し、複数の候補者を様々なテストでふるいにかけ、最終的に後継者を確定する。インド亡命中の現在のダライ・ラマは14世だが、中国との対立がこのまま長引くとすると、次の15世は中国統治下のチベット本土以外の場所で見つけられることになりそうだ。
というのも、14世は2003年11月の訪日時に私が行ったインタビューの中で、自分が中国統治下のチベットで生まれ変わることはないとの見通しを示したからである。14世がそうした考えを公にした背景には、明らかに、中国側とダライ・ラマ側との間でもめている「2人のパンチェン・ラマ」問題が横たわっている。
パンチェン・ラマ10世が1989年に死去した後、中国側とダライ・ラマ側は中国のチベット域内でそれぞれ別個に生まれ変わりの子供を探し出し、11世として擁立した。しかし、中国側の子供が帝王学を学び、公式活動を繰り広げているのに対して、ダライ・ラマ側の子供は「かつて青海省にいるとの情報があったが、行方はわからない」(14世)状況で、中国当局の厳重な監視下に置かれているとみられる。14世としては、自らの生まれ変わり問題で、パンチェン・ラマの二の舞だけは演じたくないというわけである。
1935年生まれの14世はもう69歳(2004年時点。2024年現在は89歳)になる。亡命生活に入ってすでに45年(2024年現在では65年)。すこぶる快活な性格で、いつも笑みを絶やさない。顔の色つやも良く、70近い高齢をまったく感じさせない。軽快な足取りで世界各地を行脚しているが、俗世間の常識で言えば、そろそろ全面引退しようかという年齢である。健康状態だって、いつどんな問題が生じたとしても不思議ではない。
14世がチベット本土で生まれ変わることがないとすれば、どこで転生するのか。チベット人は亡命政権のあるインドを始め、ネパール、スイス、米国など世界各国に多数居住している。14世の見通し通りとすれば、理屈上は、将来、欧州ないし米国生まれのダライ・ラマが出現する事態もあり得ない話ではない。そうなれば、チベット仏教史上初の欧米出身ダライ・ラマとなる。
一方、中国側は、当然ながら、自国領内で転生者を探し出し、共産党の政策に従順な宗教指導者に育て上げようとするに違いない。この場合は、「中国政府のダライ・ラマ」と「亡命政権のダライ・ラマ」が対立しながら、存在をアピールするという面倒な状況が生まれる可能性が大きい。14世にとっては一日でも多く長生きすることが、対中戦略上、重要な意味を持ってくる。
中国のチベット人たちは、14世に対して、今も深い敬愛の念を抱いている。また、チベット現地で取材した経験から言えば、多くのチベット人は「本当のパンチェン・ラマ11世はダライ・ラマが選んだ子供だ」と信じている。強烈な民族魂と宗教心に裏打ちされた、チベット民衆のダライ・ラマへの熱い思いが大きく揺らぐことは今後も考えにくい。中国が次期ダライ・ラマを独自に擁立したとしても、チベットの民心を掌握することは極めて困難だろう。
「真の転生とは私の任務の役に立つものでなければならず、障害とはならないものである。(自分の死後)中国政府は別の子供を選ぶだろうが、それはニセ者だ」
ダライ・ラマは信念を込めてそう語る。中国政府と亡命政権の接触は細々と続いている。だが、半世紀に及ぶ対立の構図に根本的な変化が生まれない限り、「14世後」のチベット問題が一段と複雑さを増すのは必至と見ていい。
余談だが、最後に、楽屋裏のエピソードを一つ。ダライ・ラマへのインタビューを準備しているさなか、東京の中国大使館が、どこで情報を仕入れたのか、「読売はダライ・ラマと単独会見するのか」と、私の職場(国際部)に何度も探りの電話をかけてきた。
「紙面に干渉するわけではないが、こちらの立場もある」と大使館員。部外者に答える筋合いの話ではないので、インタビューをするともしないとも言わなかったが、相手の口調からは中国政府がダライ・ラマ訪日に相当神経を尖らせている様子が察せられた。思えば、それは、国際世論がダライ・ラマに同情的であることへの中国側の苛立ちの表れでもあったに違いない。
(藤野彰著『臨界点の中国 コラムで読む胡錦濤時代』[集広舎、2007年]から)