私がオーセルと知り合ったのは北京特派員時代の2006年のことで、その後、チベットの文化大革命を題材にした彼女のルポルタージュ『殺劫』を翻訳する機会を得ました。この作品は彼女の代表作であり、原著は台湾で発行されましたが、そうせざるをえなかったのは、内容が政治的な意味合いであまりにも衝撃的だったからです。中国当局は共産党の宣伝になる本は一度に何万、何十万部と大量に出版しますが、共産党批判の本や共産党の公式見解と異なる主張の本は基本的に発行を認めません。共産党が秘しておきたいと思っている歴史の「真実」を明らかにした本などもってのほかです。
したがって、中国当局が『殺劫』の国内出版を許可する可能性はもともとありませんでした。逆にいえば、それはこの本の価値を裏づける証左です。まず、これまでほとんど外部に知られることがなかったチベット文化大革命の批判闘争、紅衛兵運動などの現場写真多数が同書で初めて公開されました。中国内地における文化大革命の写真は珍しくはありませんが、少数民族地域、とりわけ当時は秘境と目されていたチベットの文化大革命に関する写真は「門外不出」でした。文化大革命は中国共産党の最大の政治的汚点であり、これに少数民族問題がからまってくると、二重の意味でタブーとなるからです。これらの貴重な写真は、ラサの軍幹部だった彼女の父親が個人的に撮影し、保管していたもので、父親の死後、彼女によって発見されました。
オーセルの仕事の敬服すべきところは、これらの写真を手がかりに、何年もかけて、当時の関係者たちを探し当て、一人ひとりにインタビューし、極めて実証的なルポルタージュに仕上げたことです。この困難で粘り強い作業によって、長いこと政治的に封印されていた「赤いチベット」の実態が初めて明らかにされました。約40年間眠っていた歴史が息を吹き返したのです。
共産党は、自分たちが「ダライ・ラマ政権の圧制下にあった農奴たちを解放した」として、チベット統治を正当化しています。もちろん、チベット人の側から見ると、共産党による軍事侵略以外のなにものでもないわけですが、そういう理屈に立つ共産党からすれば、そもそも毛沢東主義とは縁もゆかりもなかった仏教王国チベットにむりやり階級闘争を持ち込み、無知な紅衛兵をあおって寺院や仏像をめちゃくちゃに破壊し、人道を踏みにじり、仏教に根差すチベットの精神文化そのものを深く傷つけた文化大革命は、いまだに「後ろめたい歴史」「語りたくない歴史」なのです。
例えば、中共中央文献研究室、中共チベット自治区委員会の編集による『西蔵工作文献選編』という文献集があります。1949~2005年の共産党・政府のチベット政策関連文献161件を集めた本ですが、文化大革命10年間の文献はたった1件しか収録されていません。この時期の文献が決して乏しいわけではなく、政治的理由からあえて省いているわけです。また、中国政府は2009年に『西蔵民主改革50年』というチベット白書を発表していますが、文化大革命期のチベットの状況には全然触れていません。まるでチベットには「1966~76年」という時代が存在しなかったかのようです。白書に書いてあるのは、共産党がいかにチベットの「民主改革」や「近代化」「経済発展」に貢献したかという手前味噌の自慢話ばかりです。いかにプロパガンダの文書とはいえ、歴史への謙虚な姿勢の片鱗もうかがえないのにはあきれ果てます。
ですから、中国国内で出版されている中国現代史、共産党史、文化大革命史などの一般書に至ってはチベットの文化大革命に関する出来事はまったくといっていいほど書かれていません。ほぼ完全に無視されている。当然ながら、大多数の中国人は、当時、チベットで何が起きたのかを知らないし、関心も疑問も持たない。「文化大革命では国民みんなが多かれ少なかれ被害を受けたのだから」という心理も働いているからなのでしょうが、圧倒的多数派の漢族は概して少数民族の苦難を知ろうとせず、彼らの心の傷に鈍感です。中国で民族摩擦が絶えないことの原因の一つはそこにあります。
私はここで一方的に中国の少数民族政策を批判しようとは思っていません。日本も北海道の先住民族としてのアイヌに敬意を払わず、同化政策を推し進め、固有文化をないがしろにしてきた歴史があります。指摘したいのは、一つの国家、社会におけるマジョリティーはマイノリティーが抱える苦悩に対し、往々にして傲慢なほど無関心であるということです。私たちは国境を超えて、そういう矛盾にもっと敏感でなければなりません。中国は被害者の立場から日本に対して歴史認識を厳しく問いかけますが、内にあってはチベットなど少数民族の側から加害者としての歴史認識を鋭く問われているのです。中国が本心から少数民族地域の安定を願っているのであれば、歴史の過程で生まれたひずみをしっかり直視する必要があるでしょう。
ちなみに、オーセルはチベット語の読み書きがうまくできません。日常会話は問題ないのですが、読み書きとなると、漢語(中国語)の方がずっと自由に操れます。本人は「文化大革命のせいよ。学校に上がってもチベット語の授業がなかったの。私と同世代のチベット人はだいたい、チベット語の読み書きは不得手ね」と、まったく漢族と変わらない漢語で語ります。文化大革命期、中国社会は漢族優位の大漢族主義に染まり、少数民族の言葉は「後進的で野蛮」として蔑視され、教育の場から消えました。こうして、彼女のように母語の苦手な少数民族がたくさん見られるようになったわけです。彼女はチベット語の読み書きでわからないことがあると、チベット語の達者な同胞に教えてもらうそうですが、それでも「私の母語はチベット語」と言い切るところに複雑な民族感情をのぞかせます。
『殺劫』の「訳者あとがき」で、私はこんなことを書きました。読者にこれだけはどうしても訴えておきたいと思いながらペンを走らせた箇所です。
「『殺劫』は、残念ながら中国国内では発行されていない。願わくは、チベット人はもちろんだが、中国人(漢人)にこそ読んでもらいたい。文革世代であれば、「殺劫」の含意を、自らの体験に重ね合わせて噛みしめてもらいたい。本書で明らかにされている史実は国家や民族のあり方を改めて考え直す重要な手がかりになると思うからである。いつか大陸の読者にも受け入れられる日のくることを、著者とともに切に願っている。周知のように、中国における言論統制は相変わらず厳しい。しかし、困難な環境にもめげず、ペンの力を信じて中国社会の様々な矛盾や不正と戦っている多くの知識人がいることを、私は長年の現地取材体験を通じてよく知っている。オーセルさんは疑いなく、そうした勇気と良識を備えた知識人の一人である」
共産党当局は、劉暁波のノーベル平和賞受賞以降、国内の民主化要求が活気づくことを恐れて、民主活動家はもとより、リベラルな知識人に対する監視を一段と強化しました。その影響はオーセルにも及びました。彼女のブログによると、2010年11月初旬、帰省先のチベット・ラサで地元警察から突然、理由説明もないまま出頭を求められたということです。当局側は以前から、彼女にはパスポートを発給しないなどの嫌がらせを重ねてきましたが、彼女が中国知識人による民主化要求宣言「〇八憲章」の署名者の一人だったことから、よけい動向を注視するようになったようです。歴史の真実を究明する行為がとがめられ、人間が人間らしく暮らす権利が侵害される。道理の機軸がずれてしまっています。
人間は歴史の真実を知らずに、現実の状況を正しく判断することはできません。将来の問題に適切に対処することもできないでしょう。とりわけ、若い世代に、過去の歴史の教訓をきちんと伝えていかなければ、将来、同じ過ちが繰り返される恐れがある。その意味からすると、もちろん日本の歴史教育も不十分な点が多々あります。ただ、中国の歴史教育について指摘しておかなければならないのはその特殊性です。言論の自由がないがしろにされ、知的環境が政治のいたずらな干渉によってなんともアンバランスな状況にあるということです。歴史が政治の思惑から恣意的に解釈され、都合のいい部分だけが国民に押しつけられている状況は、結局のところ、共産党体制が根本的に転換しなければどうにもならないのではないか。正直、そんな悲観的な思いにかられることもあります。
しかし、中国にはオーセルのような良識派が確かに存在しているのです。一口に中国知識人といっても共産党の代弁者のような御用学者も少なくなく、玉石混交ですが、健全な批判精神を持ち、物事を理性的に判断できる知識人たちの言論を通じた地道な闘いには、私自身、強い共感を覚えるとともに、勇気づけられます。私たち日本人はなんとなく自由を空気のように感じてしまっているところがありますが、見えざる政治の圧力のもとで自らの志を貫こうと踏ん張る反骨の知識人たちを見ると、自分の緩くなった感性に活を入れられる気分になるのです。「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい」。魯迅がハンガリーの詩人ペテーフィ・シャンドルの言葉として引用して有名になった言葉ですが、不確実性に包まれた中国の未来に対して、安易な希望を抱くこともなく、またいたずらに絶望することもなく、一歩引いた冷静な目を持ち続けたいと思っています。
(藤野彰著『「嫌中」時代の中国論』から抜粋、一部修正)