中国の漢民族世界では伝統的に自らを文明的に最も優れている「中華」と位置付ける一方、チベット、ウイグル、モンゴル、満洲などの周辺異民族を文化的に野蛮な「夷狄」と見なして峻別する「華夷之辨」という統治原理がありました。反面、これと一見矛盾するようですが、「夷狄」を漢民族に帰順させ、「中華」の下に諸民族を統合する「大一統」という統治原理も働いてきました。排他的な「華夷之辨」と、統合的な「大一統」――中国の統治者はその時々の情勢に応じて二つの原理を使い分けてきたと言えるでしょう。
例えば、清朝打倒を目指した孫文の光復革命はもともと韃虜の駆除、中華の回復をスローガンに掲げ、漢民族国家の建設を志向していましたが、革命後は一転して五族共和(漢、満、回、モンゴル、チベット)の旗を振るようになりました。実は、中国共産党の革命も、孫文のような「華夷之辨」をあからさまに打ち出したわけではありませんでしたが、当初は漢民族世界と異民族世界の区別を意識し、異民族の自治、中国の連邦化を構想していました。その証拠に、1922年の中国共産党第2回大会は、モンゴル、チベット、回疆〔新疆〕を「民主自治邦」とし、「中華連邦共和国」を樹立するとの決議を行っています。
しかし、毛沢東は革命に勝利し、天下を掌握すると、基本的に中華民国の版図を継承する中央集権国家の樹立に固執し、かつての党の正式決議である「中華連邦共和国」構想を放擲しました。要するに、孫文も毛沢東も国家観としては最終的に伝統的な「大一統」に帰着したということになります。
この「大一統」の時代は現在まで一貫して続いています。しかも、それは中国の歴史上、例を見ないほど徹底的に推進されていると言っていいかもしれません。習近平総書記は2017年10月の第19回党大会報告で「わが国の主権、安全、発展の利益を擁護し、祖国を分裂させ、民族団結と社会の調和、安定を破壊するあらゆる行為に断固反対しなければならない」と訴え、その文脈で「中華民族の共同体意識をしっかりとつくり上げる」と強調しました。「中華民族」とは共産党の定義によれば、漢民族のみならず、中国領内のすべての民族を包含した概念ですから、究極的な「大一統」を体現するスローガンと見なすことができるでしょう。
孫文はかつて「三民主義ノ具体的方策」(『孫文全集 中巻』)の中でこのように述べています。
「余ノ現在考ヘテ居ル調和方法ハ、漢民族ヲ以テ中心トナシ、満蒙回蔵四族ヲ全部我等ニ同化セシムルト共ニ、彼等四族ニ譲歩セシメテ我等ニ加入セシメ、建国ノ機会ニハ、「アメリカ」民族ノ規模ニ倣ツテ、漢満蒙回蔵ノ五族ノ同化ヲ以テ一個ノ中華民族ヲ形成シ、一ノ民族国家ヲ組織シ、米国ト東西両半球ニ在ツテ、二個ノ大民族主義的国家ヲナシテ相照映スルニアル」
「漢民族をもって中心とする」、「五族の同化によって中華民族を形成する」――習近平政権が現在進めている少数民族の漢化(漢民族への同化)政策は、本質において、まさしく孫文の「中華民族」国家構想を継承したものであると考えられます。ただ、注視しなければならないのは、孫文の「中華民族」国家構想が文字通りの構想であったのに対して、習近平政権のそれは構想を現実化する政治力、行政力、経済力、軍事力を備えており、現に着々と実行中であるという点です。
さて、これは共産党独裁の中国が民主化された後の問題になりますが、「中華人民共和国」が「中華連邦共和国」へと移行する可能性はあるのかないのか。共産党政権の目下の漢化政策は、ある意味で、そうした可能性の芽を摘み取るのが狙いでもありますから、予断を許さないと言うしかありません。確かなのは、現路線が続く限り、今後数十年の間に「中華民族」化がさらに急速度で進行するであろうということです。