演奏会まで3週間を切りました!
本番に向け、参加者も気合いがさらに高まっています!
さて、明治大学交響楽団は、2023年4月で創立100年を迎えました!
今回は、明治大学交響楽団の100年を簡単に振り返りたいと思います。
明治大学交響楽団は、1923(大正12)年4月末、新交響楽団(現NHK交響楽団)創設時のメンバーであった尾原勝吉氏により「明治大学管弦楽団」が創立され、ニコライ堂の一室を借りて練習を開始しました。
同年6月24日には、第1回定期演奏会が帝大基督教青年会館(現・東京YMCA)で開催されました。シューベルト作曲ミリタリーマーチ、ヴァイオリン独奏尾原勝吉によるマスネ作曲タイスの瞑想曲など、全部で11曲が披露されました。
1928(昭和3)年の年末には、明治大学の公認となり「明治大学校友会音楽部管弦楽団」となりました。
1932(昭和7)年9月には、おそらく明オケ初めての演奏旅行を信州地方へ実施しました。1934(昭和9)年には名古屋方面への演奏旅行が行われ、JOCK(名古屋放送局、現・NHK名古屋放送局)よりスタジオ演奏が放送されました。1935(昭和10)年8月には、東北・北海道演奏旅行が2週間という、当時としては画期的な大演奏旅行が行われました。
1941(昭和16)年12月8日、第二次世界大戦が勃発し、日本は戦時体制下に入り、全てが戦時一色になりました。戦時下という厳しい状況のもとだったが、活動は活発で、昭和16〜18年には、毎年2回の定期演奏会を開催していました。時代的背景からか音楽が少なく、特に交響曲は珍しかったため、演奏会は常に満員でした。1500枚のチケットが売れすぎるほど売れ、1回の演奏会では入場者が溢れてしまうので、昼夜2回のステージを行ったほどでした。
また、同じ頃に交響楽団と吹奏楽団とが合併し、「明治大学音楽研究会」と改名しました。交響楽団の部員もブラスバンドに参加し、1943(昭和18)年10月21日の学徒出陣壮行会(文部省主催)が明治神宮競技場で行われた時は、他大学の楽員と共同で行進曲等を演奏しました。
1945(昭和20)年8月の終戦を挟んで明治大学交響楽団も、他の全ての事と同様、厳しい状況でしたが、そんな条件の中、1946(昭和21)年6月22日には芥川也寸志の指揮でNHKラジオより放送があり、同年9月29日には福島県三春町へ演奏に出かけました。さらに、同年12月7日と8日の2日間、第25回定期演奏会を開催しました。当時の団員の方の音楽に対する情熱には、ただただ敬服するのみでした。
1951(昭和26)年に「明治大学交響楽団」と現在も使われている名称へと改称し、合唱団(現・明治大学グリークラブ)と分離独立しました。
1976(昭和51)年1月14日、明治大学交響楽団第53回定期演奏会が杉並公会堂にて開催されました。この演奏会は明治大学交響楽団にとって、尾原勝吉先生との最後の演奏会でした。明治大学交響楽団の創立者でもあり、53年にわたって団の全ての面に拘ってきた尾原勝吉先生の引退は、明治大学交響楽団にとって大きな変革の時期を迎えることになりました。
平成時代が訪れ、新たな時代とともに多くの挑戦と変化を経験しました。
そして現在、令和の時代に入り、2023年(令和5)年4月下旬、明治大学交響楽団は創立100周年という大きな節目を迎えました。これまでの100年間、数多くの困難を乗り越え、変革を経験しながらも、明治大学交響楽団はその音楽活動を続け、新しい節目に立っています。この100周年は、過去の成果を讃え、そして未来への新たなスタートとしての重要な時点となっています。
明治大学交響楽団創立100周年記念演奏会では、明オケの100年間を築き上げた仲間が集まって演奏します。明オケ100年間の歴史の中で最大規模の演奏会になっています。
この演奏会を成功させるために、どうか引き続きご支援・ご声援の程よろしくお願いいたします。