岡田准一さんの夢
東京・高円寺で「本の長屋」というシェア型書店を始めておよそ1年になる。これから古波藏さん達が始めようという「共同書店」も私がやってきたのと、ほぼ同じタイプの書店だ。本土はもちろん、沖縄でも書店の減少傾向が問題になっていると聞いている。シェア型書店は、書店の減少に歯止めをかける、救世主的な存在と捉える向きもあるが、私はそのようなことよりも、多くの人が参加して、ひとつの店を営んでいく、その運営過程にこそ貴ぶべきものがあると思っている。
1997年に東京の西にある国立市で古書店を開いた。26年間書店に携わってきたが、昨年から始めた本の長屋の運営は、今までとは違ったものだった。書店はあくまで個人でやっていけばよかったが、70人いる函店主とともに前に進んでいく「本の長屋」で求められる力は、政治家と同じようなものと感じている。多くの人の意見を聞き、異論を取りこぼさずにまとめ、不平は聞き、自分の悪口には笑顔で対応し、時には毅然と立ちはだかり、いっしょに前に進んでいく。なんと面倒なことだろうか。一人っ子で産まれ、甘やかされて育ち、長じて個人事業主となって、上からも押さえこまれない社会生活を過ごしてきた私が、なぜこのようなことを思い立ち、実践するに至ったのか、振り返りつつ考えてみた。
岡田准一さんが日曜深夜にパーソナリティをしている「growing reed」というラジオ番組がある。ふとしたことがきっかけで、このラジオ番組をかかさず聴くことになった。はまった、と言っても良い。聴ける限りの過去の番組をyoutubeで探しては耳にしていた。彼に関して何の興味もなかったが、毎回来るゲストの話を引き出す力、その背景にある豊富な知識、誠実で世恋な人格を感じさせる語り口などに魅了され、岡田准一という人間に好意を超えた感情を持つようになった。尊敬とか敬愛のようなものだ。ラジオからの話しぶりで、人をこのような思いにさせるのは、すごいことだと思い毎週聞いている。どの回か覚えていないが、彼が将来の夢を聞かれ「村をつくりたい」という意味のことを話していた。「村ね・・・」とその時はなんとも思わなかったが、この「村」というキーワードが私のなかで数年寝かせれた種が芽になり花となり、私は「本の長屋」を開いたのだと、今になってわかる。
古波藏さん達が始める「共同書店」は、函店主の一人として関わってくれている「本の長屋」の影響を多少なりとも受けているのは間違いないと、私は思っている。ということは、岡田准一さんの夢が、糸のように、細いつながりとなって、私を経由して、古波藏さん達にタッチされ、沖縄の那覇に新しい書店として華開こうとしている。
岡田さんはいま、Netflixのシリーズとして、今村省吾さん原作の「イクサガミ」を実写化すべく制作中だ。今村さんといえば、故郷の佐賀で書店を開いたり、神保町で話題のシェア型書店「本丸」を出店したりと、小説家いがいの書店主としても活躍中の方だ。こんなところにも、何かの縁を感じてしまう私は、少しおかしいのかもしれないが、夢が続くのは美しくあるので、まあ、許してほしい。
高円寺「本の長屋」
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