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着物で散策、和体験!中世近世の面影が残る鷲野谷の観光PR動画を作りたい!

中世近世の面影が残る鷲野谷。ここで着物を着て和体験ができるツアーを実施すれば、鷲野谷の趣きを保ちつつ多くの方々に足を運んでいただけるのでは…。今回のプロジェクトでは、鷲野谷の観光PR動画を作成するためのご支援をいただきたいと思っています。1万円以上のご支援いただいた方はぜひ動画にもご出演ください!

現在の支援総額

600,000

100%

目標金額は600,000円

支援者数

24

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/09/24に募集を開始し、 24人の支援により 600,000円の資金を集め、 2024/11/11に募集を終了しました

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現在の支援総額

600,000

100%達成

終了

目標金額600,000

支援者数24

このプロジェクトは、2024/09/24に募集を開始し、 24人の支援により 600,000円の資金を集め、 2024/11/11に募集を終了しました

中世近世の面影が残る鷲野谷。ここで着物を着て和体験ができるツアーを実施すれば、鷲野谷の趣きを保ちつつ多くの方々に足を運んでいただけるのでは…。今回のプロジェクトでは、鷲野谷の観光PR動画を作成するためのご支援をいただきたいと思っています。1万円以上のご支援いただいた方はぜひ動画にもご出演ください!

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2024/10/18 04:00
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クラファン24日目。

医王寺には2人の偉人が同時期に関わっていました。
1人は、「日本点字の父」といわれる石川倉次。

千葉師範学校を卒業したばかりの石川倉次は、明治12年(1879年)に、医王寺に置かれていた鷲野谷学校(現在の手賀西小学校の前身)に赴任して、一年間教鞭をとっていました。
そして、のちに、日本人に適した点字を完成させることになります。

目や耳の病を治すご利益があるということで、かつては遠方から参詣する方も多く、門の前には旅籠が数軒あったという医王寺。
ここで過ごした一年の経験が石川倉次に少なからず影響をあたえたと推測できますね。

(写真撮影:小川兄弟)

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