2024/10/18 04:00
クラファン24日目。
医王寺には2人の偉人が同時期に関わっていました。
1人は、「日本点字の父」といわれる石川倉次。
千葉師範学校を卒業したばかりの石川倉次は、明治12年(1879年)に、医王寺に置かれていた鷲野谷学校(現在の手賀西小学校の前身)に赴任して、一年間教鞭をとっていました。
そして、のちに、日本人に適した点字を完成させることになります。
目や耳の病を治すご利益があるということで、かつては遠方から参詣する方も多く、門の前には旅籠が数軒あったという医王寺。
ここで過ごした一年の経験が石川倉次に少なからず影響をあたえたと推測できますね。
(写真撮影:小川兄弟)