
クラファン13日目。
今日も嬉しいご支援をいただき、感謝です!!
本日、折り返し地点の100万円に到達することができました ^_^ ありがとうございます。
お店にご来店のお客様にも、「がんばってくださいね〜」とお声がけいただきます。本当にみんなの温かさに感動しきりの毎日です。
クラファンも中盤に差し掛かり、ここからです!!
メディアに取材依頼のメールを送ったものの、返信はなく、メディア関係者のお知り合いの方、ご一報ください!ご紹介いただけると大変ありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします!
* * *
今日は、スローカフェ・茶蔵を始めるに至った経緯と思いなど書いてみたいと思います。
* * *
宝来家の建物を残したい!まず、そう思ったきっかけは、20代で佐伯に戻り、地元のマガジン制作に携わったことでした。佐伯の町を取材し調べていく中で、「何もない」と思い込んでいた自分の無知さに気づかされました。町の成り立ち、そこに暮らす人々の生活に耳を傾けるうちに、考え方が変わっていきました。特に、船頭町がかつて料亭街として栄えていた文化や歴史の面白さに触れたとき、「ただ大きな古い旅館」だと思っていた我が家が、残したい建物に見えてきたのです。
しかし、漠然と残したいという思いだけで、何ができるかなんて考えてもいなかった20代が終わりに差し掛かった頃、大分県臼杵市のなずな農園・赤峰勝人さんと出会いました。顔を見るといきなり「コーヒーとチョコレートがやめられんなぁ」!!?いきなり何故そんなことが分かるのか不思議でしたが、玄米食をすすめらるままに始めると、自分自身の体が軽くなるのが分かりました。食べるものによって体が変わることを知り、自分自身の体調不良が改善されていくのを実感するうちに、「もっと多くの人に知ってほしい」という思いが芽生えてきたのです。宝来家にカフェを作れば、素泊まりだけになっていた旅館の食事をサポートできる。旅館とは縁のない市内の人にも、この建物の存在を知ってもらえる。そう思い至りました。
とはいえ、大学で栄養学を学んだくらいで、人様に料理をお出しする自信はありません。何をどこで学べばいいかを考え、マクロビカフェやビーガンカフェのリサーチのため、東京へ修行に向かいました。当時はオーガニックやマクロビのお店は数えるほどしかなく、ほぼ全店を巡りました。なずなでいただいた玄米の美味しさを越えるものには出会えませんでしたが、環境に配慮した雑貨や体によい食材・調味料を扱う店など、理想とする姿に出会うことができました。
フランスでお煎茶を教えていた先生とも出会い、お茶の淹れ方、お茶を使った料理、室礼、御作法、お花、そしてお店に立つ際の心構えなどを習うことができました。2年弱の東京生活はとにかく濃密な時間で、友人との別れの際には「10年くらいいた気がする」と言われた程。地元・大分では出会えなかった方々とのご縁をいただき、生きていく上での自信をもらえた気がします。ある意味、人生の社会勉強ができました。
佐伯に戻り、両親に宝来家でカフェを始める話をしますが、全く理解されずに「勤めに行きなさい」と諭されるばかり。旅館を盛り上げていきたいという思いは伝わらないまま、3年が過ぎました。転機は、佐伯市のまちづくり会議にいらしていた食環境ジャーナリストの金丸弘美さんの一言でした。「家が旅館なら、わざわざ店を作らなくてもできる。昼間の客室を使って、予約制でやったら?」その言葉に動かされ、完全予約制のオーガニック料理の提供を始めることができたのです。2年が経ち、口コミでリピーターさんも増え、「もうお店はいらないな」と思い始めた頃、まち歩きボランティアガイドをしていた父が突然、「まち歩きしたお客さんがお茶が飲める場所を作る」と、使っていなかった一室を改装すると言い出しました。そうして突然、店を持つことになったのでした。
初めてお客様に料理をお出しする日は、「私が人様に料理を出していいんだろうか」という不安でいっぱいでした。それでも、食材と調味料が本物であることだけを信じてお皿を運びました。オープン早々、ムッシュ河野の河野シェフが来店してくださり、「材料にこれだけのものを使えば、美味しいはずよ〜」とおっしゃってくださった言葉は今でも忘れられず、思いがけず自信をいただきました!
一方で、「オーガニックカフェなんてどこも1年持たないわよ」と面と向かって言われたこともあります。実際に、食材や調味料にかかる費用は通常の3〜5倍。しかし、お値段は普通のランチ料金で出し続けました。オーガニック料理は、「量は少ないのに、高い」と言うイメージがあったからかもしれません。カフェの収入だけでは回らず、デザインの仕事も続けながら、二足の草鞋で歩んだのも、一人でも多くの人に「食べて美味しい、体が喜ぶ!」という感覚を届けたかったから。
コロナがあり、物価高があり、安定にはほど遠い世の中。それでも、誰もが食べられる美味しいものを届けたいという思いは、18年経った今も変わっていません。



