ぶっ潰してぇ!!
綺麗事なんかじゃねぇよ!言葉が感情に追いつかない。思い通りにならず抱えきれない叫びやわだかまりがあって、それをそっくりそのまま他の人に伝えることができない絶望。叶わぬ救いを待っている。
絶対的な救いではなかったかもしれない。でもピンチの時にわたしの話に耳を傾け、寄り添ってくれる多くの人間の温かさ。だからわたしはここにいられる。
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こんばんは。企画責の青春ですねぇ⤴︎と申します。いよいよ今日から寮祭が始まりますね。受験期以上に命を燃やし、輝かしくも辛い過酷な日々を送った寮祭準備もこれで終わりだと思うと感慨深いです。自分はこの寮祭で前半企画責の仕事をして、後半は責の仕事から離れて主に「寮祭とは?」の文章を書いて地獄をみました。今回「寮祭とは?」について書こうと思います。
まず「寮祭とは?」が何なのか説明しますと、これは去年から始まったパンフ冒頭に載せる文章でして、熊野寮祭の意義を確認し伝えようとする試みにあるものです。これを書く人間はその年の寮祭実行委員の、寮祭って何だろうね?という哲学をまとめるゴーストライター的な役回りをするのですが、何を思ったか私は自分の言葉で書こう書こうとしてごちゃついてしまいました。
去年は現小説家の寮生の方が書いていらして、自分も最終的には文章で生きたいという野望があるので、今年自分が後継となれば縁起がいいな?と思って名乗りを上げました。
結局自分の文才を過信し痛い目をみて丸一ヶ月かかったし、ちょうど企画責の醍醐味の仕事であるタイテ作りと時期が被ってしまいそちらに関われなかったこと、思い返すと胸が痛いです。
その一方で寮祭とは?を引き受けて良かったと感じています。自分の文章スタイルを知る。きっかけになったし、追い詰められたときの自分の底力を再確認することができて自信につながりました。
この執筆は自分にとって極限経験でした。自分は高校時代自分が何者なのか分からなくなり、思うこと感じることを時間を忘れ日記に書き殴ることによって辛うじて存在を保っていました時期がありました。なので文章は自分のアイデンティティであり、今回文章面で己の限界を突き付けられたことで自己内部から破壊される心地がしました。
何時間も画面と睨めっこして結局数ワードも変わらなかったり、論理展開がキモすぎる!わー!ってなって合計5回くらい書き直したりしました。「むりすぎる〜〜〜」と談話室や自室、トイレで叫んだこと数知れず。絶望して血の涙を流していました。文章って終わりがなくて呪いのように付き纏っていました。自分はこだわりが強く半端なものは認められないので拒否感でギャンギャンになり、背後に死がある思いで向き合っていました。
当初は無理だと思って執筆から降りようとしたこともあったけれど、結果なんとか書き上げることが出来たのは周りの人々のおかげです。
自分のメンタルがブレた時に泣きついて助言をもらったり、文章の指摘を受けることで進むべき方向が見えました。ありがとうございました。何度も〆切を伸ばしてしまいパンフ責の方には特にご迷惑をお掛けしました。ごめんね。おかげさまで書けました、ありがとう。
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私にとって寮祭とは自分との闘いであり試練でした。また一方で仲間達が美しく命を燃やしている瞬間を目撃できる甘美なときでもありました。(嫉妬でその姿を直視できなくなる時も多くあったけれど。その生命力や意志に惹きつけられます。)
自分たちの力で寮全体や社会を巻き込みプロジェクトを展開していくことの面白さや、睡眠時間を削り昼夜逆転し、授業もあまり行けずシャワーも3日に1回しか入れないくらい没入して命を燃やすことの苦しさと充実感。替えのきかない仲間達。
若さの体現のようで、こんな極まりって人生で二度とない。渦の中心に居れることに喜びを感じます。人間根源が知れる、魂が震える。このような経験をさせてくれるこの寮のことが大好きです。寮祭に携わることができて本当に良かった。