神戸開港と旧居留地の誕生
神戸港が1868年に開港すると、外国人のために設けられた居留地(現在の旧居留地エリア)が整備されました。初代兵庫県知事でのちの初代総理大臣となる伊藤博文は、旧居留地を126区画に分けて整備することに決め、イギリス人技師ハートが諸施設の設計にあたりました。この外国人居留地は、歩道と車道が分離、下水道が埋設されていて、街路樹とガス灯のすっきりした街並みで、後に東洋一の設計と高く評価されました。
やがてこの地域は、貿易や外交の拠点として重要な役割を果たすため、多くの外国人商人や外交官が住み、ヨーロッパ風の建築が次々と建てられました。外国人居留地では、主に貿易や商業活動が行われ、銀行や商館、クラブなどの施設が集中しました。この地域は神戸の国際港としての経済活動の中核を担っていたのです。
住居を求めた外国人が北野町へ
当初、外国人の多くは海に近く事業に便利な外国人居留地に住んでいましたが、やがて現在の異人館街がある神戸の山側「北野町」に居を構える人々が増えました。これは、開港から時がたつにつれて、外国人居留地が商業施設や事務所で埋まり始めたため、より広い敷地を求める外国人が増えたためです。
地形と眺望の良い北野町は、六甲山のふもとに位置し、神戸港を一望できる高台で、眺望や風通しが良いことから、外国人にとって理想的な居住地とみなされました。北野町は居留地からほど近く、静かな環境でありながら商業の中心地へのアクセスが良好でした。また、広い敷地が確保でき、庭付きの邸宅が建てられる点も魅力でした。明治政府や地元住民が、外国人のための土地提供や利便性向上に取り組んだことも、北野町の居住地化を後押ししました。
こうして北野町は、外国人住民の生活拠点として、居住の場や社交の場を提供しました。北野町の住民たちは旧居留地で仕事をし、北野町に帰るという生活を送ることで、両地域が密接に結びついていました。
現在の旧居留地と北野町
現在、旧居留地はそのヨーロッパの街並みを生かして、高級ブランド店や商業施設が立ち並ぶ神戸でも特にファッショナブルなエリアとして人気を集めています。一方、北野町の異人館街は、当時の邸宅が保存・公開され、観光地として多くの人々を魅了しています。両エリアは歴史的背景を共有しつつ、異なる形で神戸の文化と観光を支えています。