
神戸のファッションの歴史は、明治時代に遡ります。神戸港の開港と共にやってきた外国のファッションは、神戸から日本へと広がっていきました。
洋装のはじまりは神戸から
和装と洋装の技術を学んだ柴田音吉は、17歳のとき英国式スーツのテーラーであるカペル氏と共同で神戸にテーラーを開業しました。その後、自らも日本人初のテーラーとして活動を開始し、近代洋服の普及に尽力しました。
歴史的に有名な逸話は、伊藤博文の推薦で明治天皇の礼服を仕立てた際のエピソードです。天皇に直接触れることなく目測で採寸し、完璧な礼服を作り上げた音吉の技術は天皇を感動させ、近代日本における洋服の普及に繋がりました。この礼服は現在も保存されています。
また、音吉は伊藤博文と共に、「礼服には洋服を着用する」よう進言しました。この提案は、日本の近代化を象徴する出来事であり、洋服文化の普及を促進する重要な一歩となりました。
音吉の活躍により、洋服文化が神戸から全国へ広がり、戦後には「神戸洋服」として名を馳せました。彼の業績は、神戸がファッションの街としての地位を確立する基盤となりました。
女性たちが憧れる帽子
一方、女性を彩ったのは帽子でした。神戸の老舗帽子店「マキシン」は、大正10年(1921年)の創業以来、日本を代表する帽子メーカーです。当時、帽子は外国の女性にとって必需品でした。外国人居留地と北野の異人館街を結ぶトアロードにお店を構えたマキシンでは、外国のお客様が多かったそうです。戦後は、進駐軍の将校夫人たちに愛されてきました。
職人技が光る帽子は、神戸のモダンなファッション文化を象徴しています。その技術力とデザインは皇室からも高く評価され、皇后雅子さまをはじめ御用達として知られています。
また、山崎豊子の小説『華麗なる一族』にはマキシンの帽子が登場します。高度成長期の神戸の上流階級のエレガンスを彩る小道具として描かれていることから、マキシンの帽子が当時いかに神戸の社交界で存在感を示していたかを象徴しています。
現在でもマキシンは、クラシカルでありながら現代的な帽子を提供し、神戸のファッションの一端を担い続けています。



