
神戸が大阪や京都と比べて新しい理由
神戸は、大阪や京都と並ぶ関西の主要都市として知られていますが、その歴史的背景を見ると、他の二都市とは異なる性質を持っています。その理由を歴史的な出来事を交えながら探ってみましょう。
大和田の泊・兵庫津としての繁栄
神戸港ができる前から、神戸は港町でした。今の長田から兵庫にかけて開かれていた兵庫津は、8世紀の初め頃に“大輪田泊”と呼ばれ、近畿から中国・九州へ向かう航路の船泊りとして築かれました。摂播五泊の一つであり、遣唐使として最澄や空海がここから船出しました。
平安時代の終わりごろには、平清盛が日宋貿易に大輪田泊を利用し、大規模な修築を行い重要な国際貿易港へと発展させました。鎌倉時代以降には“兵庫津”と呼ばれるようになり、室町時代には勘合貿易の国際港として繁栄しました。
江戸時代には、北海道や東北の日本海沿岸と近畿を結ぶ北前船の発着港として大きく発展し、人口も5,000〜6,000人から江戸中期には2万人を超えるまでに成長しました。
明治時代になると、兵庫県の最初の県庁が兵庫城跡に置かれ、初代県知事には伊藤博文が就任しました。この時期、兵庫津は国際貿易港としてさらに大きく発展し、どの時代においてもわが国最大、最先端の港まちとして輝かしい活動を展開してきました。
焼け野原となった神戸空襲
神戸が大きく変わるきっかけとなったのは、第二次世界大戦中の神戸空襲です。1945年、この空襲によって市街地の大部分が焼失し、多くの建物や街並みが消失しました。この壊滅的な被害は、神戸の歴史を大きく分断するものでした。
高度成長期・阪神淡路大震災後の再建
戦後の神戸は、焼け野原から立ち上がり、復興とともに高度成長期を迎えます。貿易港として再び活気を取り戻し、神戸は経済的に大きな発展を遂げました。この時期に多くの近代的な建物やインフラが整備され、現在の都市基盤が形成されました。
しかし、1995年の阪神淡路大震災が再び神戸を襲います。この地震により市内の広範囲が被災し、多くの建築物が倒壊しました。その後の復興過程で、多くの建物が新しく建て替えられ、神戸の街並みは再び大きく変化しました。
北野の異人館街の価値
こうした2つの大きな災害を経てもなお、神戸に残る歴史的建築物の一つが北野の異人館街です。このエリアには、明治から大正時代にかけて外国人居留地として栄えた名残があり、洋風建築が立ち並ぶ独特の雰囲気を保っています。異人館街は、神戸の歴史を語る上で欠かせない文化遺産であり、他にはない魅力を持っています。




