
神戸と映画:日本映画史の幕開け
神戸は、日本映画史の重要な出発点となった地です。その映画との深い関わりを振り返ると、この街が日本の映画文化に果たした役割の大きさを再認識できます。
日本初の活動写真公開:神港倶楽部
明治29年(1896年)、エジソンが発明した活動写真装置「キネトスコープ」が日本に初上陸しました。その公開場所となったのが神戸・花隈にあった神港倶楽部です。この新しい娯楽は、同年11月25日から12月1日まで一般公開され、大きな注目を集めました。キネトスコープは現在の映画とは異なり、箱の中の映像をのぞき窓から見る装置でしたが、その革新性は当時の人々を魅了しました。
さらに、スクリーンに映像を投影する「シネマトグラフ」も翌年の明治30年(1897年)に神戸の相生座で初公開され、これが本格的な映画の幕開けとなりました。このように、神戸はまさに日本における映画文化の扉を開いた場所と言えるのです。
チャップリンお気に入りの街、神戸
喜劇王が愛した街神戸と映画を語る上で欠かせない存在が、喜劇王チャップリンです。親日家として知られる彼は、戦前に3度日本を訪れました。その中で特に有名なのが、2度目の来日となる1936年(昭和11年)の訪問です。チャップリンは京都や奈良の観光をキャンセルしてまで神戸を散策したことで知られ、神戸の街と人々に深い印象を残しました。
当時の報道や記録から、彼の神戸滞在を紐解いてみましょう。チャップリンの神戸散策1936年3月7日、チャップリンは新婚旅行中の妻ポーレット・ゴダードとともに横浜港に到着しました。当初の予定では京都・奈良を観光し、8日に神戸から出帆するスケジュールが組まれていましたが、彼は東京発の夜行列車で直接三ノ宮駅へ向かいました。3月8日の神戸新聞夕刊には、「気まぐれ喜劇王 円タクで神戸をぐるぐる回り」と題した記事が掲載されています。
記事によると、チャップリンのタクシーは加納町から湊川公園、栄町通、トアロード、神戸税関、第三突堤と、神戸の主要地をまるで気まぐれに巡ったとされています。その中でも特に印象的だったのが、湊川公園での楠木正成像の見学と、湊川神社への参拝です。チャップリンは妻に楠木正成を「日本の英雄だよ」と説明していたという記録が残っており、日本文化や歴史に対する深い興味を感じさせます。湊川神社の記録には彼の参拝が残っていないものの、前年に挙行された「大楠公600年祭」への関心もあったのではないかと推測されています。
チャップリンの神戸滞在のハイライトのひとつは、料亭「菊水」での食事です。神戸ビーフを使用した名物すき焼きを堪能したというエピソードは有名で、彼が4年前の初来日時にも菊水で昼食をとったことから、特にお気に入りだったことがうかがえます。
この訪問でチャップリンは、神戸出身の映画評論家、淀川長治氏(故人)との対面を果たしました。当時、新開地周辺で育った淀川氏にとって、チャップリンは憧れの存在でした。その対面は午後4時ごろ、チャップリンが船に戻る直前に実現したとされています。
神戸と映画の絆「桜の頃またやって来る」と残して去ったチャップリン。しかし、3度目の来日は5月で、桜はすでに散っていました。それでも彼の神戸滞在は、多くの人々の記憶に深く刻まれ、神戸と映画の結びつきを象徴する出来事となりました。
マリリンモンローも実は神戸を訪れているのです。1954(昭和29)年2月に2番目の夫で米大リーガーのスター選手だった、ジョー・ディマジオとの新婚旅行で来日した時、元町の花隈を訪問しています。当時はまだ花街が残る花隈で、芸子遊びをした様子が当時の新聞に取材されたのだそう。
神戸には素敵なミニシアターがあちらこちらにあります。折しも1月17日には阪神淡路大震災をテーマにした「港に灯がともる」が公開されました。ぜひ劇場で映画の中の神戸の街も楽しんでくださいね。




