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こんにちは(^^♪
本日は
立佞武多の歴史について
紹介していきます(=゚ω゚)ノ
1993年に一枚の写真が見つかりました。
そこに写っていたものは、明治40年代(1910年頃)に作られた超大型のねぷたでした。
高さは15間で(約27メートル)、7階建てのビルに相当する高さです(*ノωノ)
当時、五所川原市には「布嘉(ぬのか)」と呼ばれる青森県一の豪商がおりました。
一代で巨万の富を築き、貴族院議員まで務めた佐々木嘉太郎氏。
その邸宅は布嘉御殿と呼ばれ、
太宰治の生家である斜陽館と同じ棟梁、堀江佐吉氏によって建てられました(=゚ω゚)ノ
布嘉御殿は明治29年(1896年)、斜陽館は明治40年(1907年)に完成しましたが
佐々木氏が斜陽館を見た時に「なんだ、小さいな」と言ったとか言わないとか(; ・`д・´)
そんな布嘉に代表される豪商や地主が競い合い、ねぷたは大型化していきました。
しかしながら、
街の近代化により電線が張り巡らされ、ねぷたは縮小せざるを得なくなってしまいました(/_;)
また、五所川原市では戦後に2度の大火があり、
街が全焼したことで写真や設計図が失われてしまいました。
こうして超大型ねぷたは姿を消し、人々の記憶からも消えていったのです(*´Д`)
今では見ることができないほど超大型のねぷたを80年前の人達が作っていた。
その姿を見た市民有志達は復元させることを決めました!(^^)!
写真だけではなく設計図も一緒に見つかっていたのです。
そして1996年、岩木川の河川敷に高さ約20メートル、重さ約7トンの超大型ねぷたが作られ
「立佞武多」と命名されました( *´艸`)
今では、立佞武多の館を中心にした街づくりが行われるようになりました。
かつて、電線のために縮小を余儀なくされた立佞武多でしたが、
現代では立佞武多のために電線を地中化し、スムーズな運行ができるようになりました(*'ω'*)
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