
昨日、ファーストゴールの500万円を達成いたしました。
これもひとえに、ご支援・応援を頂きました皆様のお陰です。
心より御礼申し上げます。
まだあと10日足らずではありますが、セカンドゴールに向けて
一歩動き出しましたので、引き続き応援のほどよろしくお願い申し上げます。
写真は、本日(令和7年3月6日)
正直、こんな写真の投稿は、もうお腹いっぱいで見たくない。そう思われる方も多いと思います。
この田んぼ、
「5月末までには何とか使えるようにする。」
そう、行政が言ってくれたものの、それは絶対?信じてもいい?と言うと、約束はできないという回答しかもらえません。
本当に、豪雨災害は余計でした。
前を向いて歩きだそうとしていたところに、ようやく崖からはいずり上がってと思っていたところに、更にもっと深いどん底に突き落とされるかのような、失望・絶望、誰しもが廃業と離農、この地にもう住むなと突き付けられたかのような気持ちになっていました。
そんな私たちを救い、サポートして一番力になってくださったのは、国でもない政府でもないボランティアさん達です。
ボランティアさんたちが、嫌な顔一つせずに土砂を片付け、瓦礫や流木の撤去など、寄り添ってくださったお陰で、今があります。
ボランティアさんたちがいなかったら、当の昔に諦めていました。
2011年、東日本大震災が起きたあの年、石川県農業法人協会として、泥のかきだしにボランティアとして宮城県へ行きました。発災から3か月余り経過した6月だったと思います。私は山元町に回され、推定80歳前後の老夫婦の家の泥だしに行った事を覚えています。
あの時は、写真を撮る事やSNSに揚げる事などは、何か失礼に当たるんじゃないかと思っていました。私たちが泥だししていると、老夫婦は自分たちの飲み物などを持ってきて、休んでくれと言います。
「僕たちは自分たちで持ってきているから、大丈夫。気にしなくていいですよ。」
そう言って、自分たちが持ってきた飲み物も余ったものはそのまま、「良かったら飲んで」と置いてきた記憶があります。
1.8m前後、人の高さほども水が襲ってきた爪痕が壁には残っていて、土砂を捨てに行った先に見える光景は一面泥だらけでおそらくは田んぼがあったであろうという感じでした。仙台空港からでも流されてきたのか、ダメになった車もちらほら。
あの時のお爺ちゃんとおばあちゃんの顔を明確には思い出せませんが、自分は役に立ったのだろうか?と思いながら帰った記憶だけはしっかりと残っています。
多分、被害レベルは、どっちがすさまじいかなんて言えませんが、地震と言う大きな揺れで家を失い、大雨による土砂災害と、自分が被災者となって初めてボランティアさんの存在の大きさと、有難さが身に染みて分かりました。
土砂を土嚢一つ、石ころを一つ、ゴミを一つ、それだけでも目の前から無くなる事が、無くしていただけることがこんなに有難い事なんだと、身をもって体感しました。
少なからず、あのお爺ちゃんお婆ちゃんの為にはなっていたはずだと、今なら思えます。
そして、もっと声を上げてボランティアの呼びかけをすべきだったと今なら感じます。
ただ単に、行政が悪いとは言いません。
行政は、国民や県民、市民、町民から集めた税金や、皆様から寄せられた義援金を使って何とかしようと考えて行動していると思います。
少なからず、国政に関わる人は分かりませんが、末端の市町職員は一生懸命動いてます。
市町職員も被災者で、市町行政も被災行政で、限界がある状況下で市民町民から寄せられる声はいつも以上にハードルの高いものとなっている事でしょう。
だからこそ慎重審議して動かねばならなくなっているのか、そのせいで動きが遅くなっているのか、この復旧復興スピードの遅さの理由は明確には分かりません。
ある程度の時間が経ち、言えるのはこの地域の未来を守るためにも、事業者を守らなくてはならないという事です。
この地域の事業が無くなれば、雇用の場が失われる。
雇用できない環境下で、子育てができるわけもなく、子育てできない環境下に子育て世代が留まる事なんてできません。
一番大切なものは、子ども達だと思っています。
次の世代を担う子ども達が、安心して暮らせて学べる環境こそ未来を創る事だと思うのです。
少子過疎高齢が一気に短縮されてしまった奥能登で、無駄な税金を使うなと言う声もあるのも重々承知しています。
だからこそ、私たち被災農業法人は、無駄だったなんて言われない復興を、再興を目指して踏ん張ろうと努力しています。
いつまでも被災者をやりたくないけど、我々の職場が使い物にならない状況が続いていて、いつ使えるようになるのか明確な答えがもらえない状況で、そこについての補償も十分してもらえないのが、今の現状であり写真の通りなんです。
我々が望むのは、継続経営できるチャンスを今一度与えてほしいという事です。
そして、我々は自社の事だけを考えて言葉を発してはいません。この有事においてこれから日本のどこかで起きる可能性がゼロとは言えない激甚災害において、いち早く農業を救済し、地域の食の土台を、日本の食の土台をささえる体制を整える為、奥能登を実験台としていろいろと試してほしいと願っています。
このまま奥能登が、見捨てられてつぶれていったのでは、ただの犬死みたいなものです。
この被災が、誰かの役に立つ被災となるべく、自分たちが成功事例となるんだと、折れそうな気持を何とか奮い立たせています。
あと、クラファン終了まで10日を切ります。
最後の最後まで、一人でも多くの人に現状を知っていただき、能登を忘れないでいただきたい。
気持ちを向けていただきたい。できる事なら一緒に再び興していく仲間になっていただきたい。
皆様の置かれる環境は、それぞれに違うと思います。ですのでただ単にご支援をお願いしますとは言えませんし、言いません。
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能登は北陸の重たい雪の降る冬場は動きが鈍ってしまい、何にも思うように進まないのです。過去一遅い復興と揶揄される、能登の中でも2度の激甚災害を浴びた奥能登を忘れないでください。
なにとぞ、一緒に歩んでいただけますよう、心よりお願い申し上げます。




