横手城下語り部の簗瀬と申します。本CFの中の人です(笑)
横手城下語り部がなぜ?山﨑樹一郎監督のアーティスト・イン・レジデンスに取り組むのか、そこらへんの話題から入りたいと思います。
【あきた十文字映画祭】というローカルな地方映画祭をご存知な方は少なくないと思います。1992年から30年以上にわたって秋田県南の十文字町(現横手市十文字町)で続く映画上映運動体です。
今年2024年5月に、岡山県津山市の城東重要伝統的建造物群保存地区の伝統的建造物のミニシアター城東津山シネマにて、あきた十文字映画祭がプロデュースした出前上映会が催されました。
そこで上映された作品のひとつが山﨑樹一郎監督作品『新しき民』(2014年)。津山藩で起きた山中一揆をモチーフに、農民治兵衛の姿を通じて「弱さを引き受けること」「逃げることによって開ける未来」を描いた時代劇でした。山﨑監督最新作『やまぶき』を外し、あえて『新しき民』をチョイス、しかも主人公治兵衛が憎むべき武士のまち・津山藩お膝元の津山城下の核心部(重伝建エリア)でやることの意味。
映画『新しき民』は津山のお隣・真庭の山中(さんちゅう)と呼ばれる地の民の視点を通して、社会を描いた作品でした。山﨑樹一郎さんが暮らす真庭の山間(やまま)にかつて生きた名もなき人々を描きつつ、今の社会を描いていたのです。
第4回大島渚賞(山﨑樹一郎監督が受賞)で黒沢清監督が語った審査総評「社会というものは、人間ほど簡単には描くことができない」という言葉。土着の人間を描きながら社会やその社会に張り付いているものを描くのが山﨑監督の真骨頂です。
「津山城下」という都市のモチーフ?から炙り出される土着の生が映画『新しき民』だとすれば、本当に描かれるべきは津山藩を構成していた土着の民の生であり、城下町という偶像を構成する民ひとりひとりにスポットを当てることで、現代にまで通じる「土着の生」を描いたのが他ならぬ『新しき民』でした。当団体が「横手城下語り部」と名乗っているのは、実はそうゆう城下町の偶像を構成する市井の存在にスポットを当てたいからに他なりません。
今回のアーティスト・イン・レジデンスでは、山﨑監督があきた十文字映画祭に登壇し、最新作『やまぶき』を上映する!ということも含まれています。『やまぶき』は『新しき民』の後日譚なのではないかと個人的には思っています。真相は本プロジェクトの中で監督に直接ぶつけてみたいと思います。
(つづく)