
サッカーボールの寄付先である、タイの孤児院を運営するNPO法人バーンロムサイジャパン代表の名取美穂さんにインタビューをしました。
バーンロムサイを始めるきっかけ、チェンマイの孤児院施設で暮らす子供達のことなどを聞いてきました!
Q1.チェンマイに孤児院を作ることになったきっかけを教えてください。
最初にチェンマイに行ったのは1996年で、その時はただの観光でした。もともと私はインテリアファブリックのメーカーに勤めていて、そこがチェンマイに工場を持っていました。その工場長のスイス人のおじいちゃんととても仲が良かったので、会社を辞めたタイミングにバックパッカーで遊びに行きました。
その時、たまたま私が通っていた「東京ドイツ学園」のスクールドクターをしていた方が、チェンマイでエイズ末期患者のケアをするボランティアをしていました。せっかくなのでその活動に2〜3日同行させてもらったことがきっかけでした。
病院では大広間に簡易ベッドが並び床にも布団が敷き詰められていて、そこに末期のエイズ患者さんたちがずらっと並べられていました。当時は、まだエイズの薬がなくて、HIV=死という時代ですから、本当に「死を待つ場所」でした。そのドクターが、患者さんたちに瞑想を教えて、死を迎える心の準備をしたり、痛みを和らげる呼吸法を指導したり、消化が良くなる食事の仕方を教えたり。最期の最期まで寄り添って、手を握って見送る、そういう活動をしていました。私はそれを目の当たりにして、「こんな世界があるのか」と心底衝撃を受けました。
後から知ったことですが、チェンマイはバンコクよりもHIV感染者が多い地域でした。親は出稼ぎに行き、残された子どもたちはおばあちゃんに育てられる。貧しくて教育を受ける機会がないから、予防する知識もなくて感染が広がってしまいます。
そういう現実が目の前に広がっていて、私の「人生の転機」と言っていいほどの経験をしました。
Q2. バーンロムサイができるまでの経緯を教えてください。
その後、私の母もチェンマイに遊びに行き、現地で同じようにエイズの現状を見て、同じくショックを受けた様子でした。母は現地に長期滞在しボランティアをしていました。
そんな時に、人伝いに「ジョルジオ・アルマーニのジョルジオさんが、エイズ支援をしたいと言っている」という話が偶然舞い込み、それならチェンマイにエイズ孤児のための施設を作りませんか?と提案したら、「やりましょう」と返事をいただきました。すぐに土地を探して、建物を建てて、人を雇ってと進めました。母は現地でコーディネートをして、私は日本でホームページを作ったり、パンフレットを作ったり、寄付を集める役割を担いました。
全部が偶然とご縁で繋がって生まれたのが、バーンロムサイなのです。
Q3. 施設で暮らす子供たちについて教えてください。子どもたちは学校に通っていますか?孤児院に住んでいるからという理由でいじめられたりする事はありませんか。
子供達は皆学校に通っています。孤児院だからという理由でいじめられたりする事はなく、みんな仲良く過ごしていると思います。
Q4. 子供たちは学校に行く以外にはどんなことしていますか?
学校以外の時間は、庭の掃除を手伝ったり、宿題をしたり、庭で遊んだり、音楽を聴いたり自由に過ごしています。
庭掃除と朝ごはん作りは自分たちで行うという決まりがあるので、年長の子供達が中心になってやってくれています。
Q5. バーンロムサイで働いている卒園生はいますか?
何人か卒園生が働いています。宿泊事業のresort hoshihanaで庭師として働いている子や、大工仕事やメンテナンスチームで働いている子もいます。
卒園生の一人が「お世話になったお礼に」と毎週子どもたちにギターを教えに来てくれています。こうやって卒園生が戻ってきてくれるのは本当に嬉しいです。
Q6. 子どもたちが一番喜ぶことは何ですか?
外からお客さんが来て、一緒に絵を描いたり、遊んでくれたりするのが一番嬉しいみたいです。日本のお菓子も大好きで、日本の方がお菓子を持ってきてくれると大喜びします。
Q7. タイの子どもたちと日本の子どもたちと違いがありますか?
子供達の違いはわからないのですが、タイの人を見ていて、とても楽観的で明るい人が多いと感じます。現地で自然災害が起こって大変な状況だった時に、「悩んでいても仕方ない、どうにかなるさ」という、すごく前向きでおおらかに構えているのを見た事があります。
Q8. タイの学校は日本のように無料で通えるのですか?
タイの公立学校は基本的に無料です。でも制服や教材費、通学費がけっこう負担になります。
タイの学校は曜日ごとに制服が違って、伝統服の日、ボーイスカウトの日、体操着の日のような感じで制服を揃えるだけでも大変です。だからお金がない家庭の子どもは、学校に行かせてもらえなかったり、途中で辞めてしまったりすることも珍しくありません。そういう子たち何名かも、少額ながらサポートしています。
Q9. バーンロムサイの運営を続けていく中で、大変だったことを教えてください。
一番大変だったのは経営が難しくなった時です。
東日本大震災の時は、バーンロムサイを支援してくれていた方たちが、東北支援に向かったことで寄付がなくなってしまい、もちろん、それはすごく理解できることですが、運営する側としては本当に大変でした。コロナの時も、resort hoshihanaにお客さんが来なくなってしまい、縫製場も閉鎖して商品も作れませんでした。でもそれは私たちだけではなくて、世界中の誰もが大変な思いをしていたので、私たちも何とか踏ん張るしかないという感じでした。
ボランティアさんの確保も難しいと感じた事で、現在はボランティアの方ではなく、現地スタッフにお給料を払って運営をしています。
こういった継続することの難しさはずっと感じています。
Q10. バーンロムサイを続けてきて嬉しかったことは何ですか?
卒園した子たちが、ふらっと遊びにきてくれて近況報告をしてくれることが一番嬉しいです。
Q11. これからバーンロムサイをどんな場所にしていきたいですか?
最初はHIVに感染した子どもたちの命を守るために始めましたが、今はお薬もできて服薬をすれば普通に生活できるようになりました。おととしに最後のHIV感染の子が卒園して、今は普通の孤児院になりました。
これからはバーンロムサイの子たちだけじゃなく、周りの地域の子どもたちにもいろいろなチャンスを広げていきたいと思っています。例えば、勉強する機会がない子や家庭の事情で学校に行けない子にも、ちょっとずつサポートをして子供達の未来が開けていける場所にしていきたいです。
寄付で作っていただいた図書館がありますが、そこで子供達に絵のワークショップをやったり、縫製の技術を勉強したり、焼き物をやったりしています。自分ができることに気づいて好きなことが見つかれば、それが将来仕事につながるかもしれない。そうやって自立につながるきっかけを作ってあげられたらいいなと思っています。
みんなが自分に合ったものを見つけられるわけじゃないけど、選べるということはすごく幸せな事だと思います。「いろんな選択肢があるんだよ」と伝えるだけでも、きっと子どもたちの未来は変わると思うので、これからも色々なことにチャレンジしていきたいと思っています。
世界を大きく変えることは、たった一人の力ではできないけれど、目の前の誰かを助けることなら誰でもできます。世界中のみんなが、自分の周りの人をちょっと気にかけるだけで、それがつながってすごく大きな力になるので、私たちも目の前の子どもたちにできることを続けていきたいし、それがもっと広がっていくことで世界を変えることができると信じています。
話を聞いた後の感想
名取さんにインタビューをして、いくつも印象に残るお話がありました。1つ目は、名取さんがおっしゃっていた「小さな活動でも、たくさんの人が少しずつやっていけば大きいものにもなる」という言葉です。僕は今、学校のテーマ学習で「貧困」について勉強していますが、僕一人が勉強しているだけでは小さなことなのでそんなに意味はないと思うときもありました。でもこの言葉によって、一人一人が勉強したり知ったりすることにも意味があると思えてきました。2つ目は、バーンロムサイの孤児院や、そこに住んでいる子供達についてです。孤児院の子供達を想像すると、両親がいないのだから少し寂しいイメージを持っていましたが、子供達が楽しそうに暮らしている様子を聞けて嬉しかったです。3つ目は、名取さんの行動力や頑張りについてです。旅行でいった場所で偶然見た状況を自分で変えようと行動を起こしているところがすごいと思いました。名取さんにインタビューでお話を聞けてとても良かったです。






